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スレッドNo.22

◆ハイヒール句会 第5回◆☆ 平成15年5月 月例句会「こどもの日」☆◆きっこ特選☆七句◆

     きっこ特選☆七句


  先生の持つ羊蹄花を旗印 知香

羊蹄花(ぎしぎし)は、河原や土手などに良く見られる背の高い薄緑の穂状のお花です。
俳句は「省略の詩」ですから、言わずにどこまで感じさせるか、と言うことが重要です。
ただ「先生」と言っても、政治家や医者、作家など様々ですが、この句は、幼稚園の年長組か小学校の低学年の先生であると言うことがキチンと伝わって来て、土手の道を先生に着いて行く、元気の良い子供たちの姿や笑い声が聞こえて来ます。すべては「羊蹄花」と言う季語の手柄なのです。


  ゆつくりと刻ながれゆく新茶かな ナナ

一服の新茶の良い香りが、豊かな時間を演出してくれています。
俳句は「形」が大切で、同じ題材を同じように詠っても、形ひとつで良くも悪くもなります。この句は、途中に切れが無く、ゆっくりと下って行く一物仕立てで、最後を「かな」で止めているので、句意と句形が響き合い、読み手にまでゆったりとした時間を与えてくれています。
とても形の美しい句ですね。


  はつなつの風呂底揺るる水の影 宏

この時季になると、街路樹や街を行く人々の服装などにも、初夏の眩しい光を感じます
が、「お風呂の底の水の影に初夏を感じた」と言うのは、とても素晴らしい発見です。
お湯ではなく「水」と詠んだところがこの句の成功した部分でしょう。「水」には、まだ汚れていない透明感や「昼間である」と言う状況までもが詠み込まれていて、季語との響き合いが生まれているのです。


  鯉幟たたむや目玉上にすゑ 知香

「視点を変える」と言うことは、類想を避ける上でとても重要なことです。
鯉幟が空を泳いでいる句はとても多く、類想類句に陥りやすいのですが、少し視点を変えて、鯉幟を出すところ、仕舞うところなどを詠んでみると、まだまだ新しい発見があります。
小さく畳んでも、「すゑ」と言う表現から、その目玉が大きいこと、そしてとても大きな鯉幟であることが見えて来ます。


  白波を立てて舟行く端午かな 松太

この小舟は、こどもの日とは関係なく、たまたま作者が目にしたものなのでしょう。
しかし、上5中7の描写、そして一物仕立てにしたことにより、まるで犬や猿やキジを従えた桃太郎がへさきに立ち、鬼が島へと向かって行くようにも感じてしまいます。
多くを語らずに、読み手に様々なイメージを喚起させることができるのが、秀句の条件でしょう。


  信号を魔法で変へるこどもの日 かへで

子供の頃に信じていた、サンタクロースや魔法使いなどをだんだん信じなくなり、みんなつまらない大人になって行きます。
芭蕉は「俳諧は三尺の童にさせよ」と言いましたが、子供の頃の純真な目こそが、客観写生を実践して行く上で、一番大切なことなのです。
実際、年をとってから俳句を始めた人ほど、今まで何とも思わなかった身の回りのものに、子供のように目をキラキラさせるのです。
横断歩道の信号が青になったのも、本当は魔法の力なのかも知れません。


  弁当の箸は若葉の小枝かな ふじけん

「若葉のついた小枝を箸にした」と言うことしか伝えていないのに、瑞々しい新緑や鳥の声、川のせせらぎまでもが聞こえて来ます。
大自然の中へ出て、溢れるほどの季語に囲まれた時こそ、その中のどの部分を切り取るか、と言うことが重要になります。
一本の大木を上から下まで全部描く油絵とは違い、俳句と言う短詩は、枝先だけを描き、あとは余白の力で大木をイメージさせる水墨画の世界なのです。

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