エドワード親書
監督のFBから転載します。
貴方は一体いくつくらいのことを決めていますか?
例えばですが、
隣人は大切にしないといけない。
自由な世界が一番だ。
戦争は絶対反対。
弱い立場の人には手を差し伸べよう。
音楽の力はすごいからもっと大切にしよう。
悩みのない生活をしたい。
男女ジェンダー皆同権であるべきだ。
人の命が何より大切だ。
どんなことがあっても民主主義は守ろう。
などなど思い込んだことはありませんか?
みな、もっともなようですね。でも絶対に確かなことってあるのでしょうか?
決めつけの例として、具体的に靖国参拝のことをお話しします。
靖国神社には東条英機などA級戦犯が合否されているから日本の指導者は参拝するなと近隣諸国は言ってきます。
私は参拝したいなら堂々とすればいいと思います。
ただその前に、東条英機やほかの指導者たちを悪と決めつけることの是非を真剣に話し合って来たのでしょうか?日本人には先祖を敬う心が自然に育っていて、どんな祖先や先輩であれ自然に敬いたくなる人も多いのではないでしょうか?それを悪と決めつけることはどうか?
確かに戦争に導いてしまった責任は日本の指導部にはあったでしょう。しかし当時の日本を取り巻く情勢はそんな単純なものではなかったと思います。勝気な軍部の意見に押されていったとはいえ、戦犯、などという不名誉なレッテルを張り付けられて絞首台に立った彼らのことやその気持ちをどれだけ真剣に考え向かい合ってきたのでしょう。
日本を追い込んでいった米英の考えも仕方なかったでは済まされるとは思えません。ともに責任を感じるべきだと思いませんか?
互いに許し合うことの大切さを学ばず、一方的に相手を悪と決めつけて攻撃する、戦争になりますよね。
私の父はフィリピンで戦争犯罪の通訳をさせられたと聞きました。
あんないい人がついひどいことをしてしまい絞首刑を宣告される。それを父は告げる役目。
だから、戦争だけは起こしてはならない、と父の言葉でした。
こういうこともあって、何が正しく、何が正しくないか、簡単には決めつけられないと私は思うようになりました。
考えてみれば私の人生、
そうとは限らない、何も確かなことはない、
だからいろんな可能性についていつも心を開いておくのだ。
と歩み続けてきたように思います。
振り返れば人類が生まれて以来、より幸せであろうと、人類は様々な発見発明をしてきたように思います。
より幸せにーーー?でも、そうなってるでしょうか?
現代人はスマホでも何でも持てて、そんなものがなかった古代人より幸せだと断言できますか?そして情報を知れば知るほど幸せになってきたのでしょうか?
お金や財産、権力を持てばそれに縛られ反って苦労してしまうかも知れません。
何がホントに人の幸せかわかりませんね。
人によっても幸せを感じる基準みたいなものも違うでしょう。でもその個人の幸せの基準も周りの環境などによって作られてきたとこともあるでしょうし、簡単には決められませんね。権力者が幸せを感じる時と、子供が嬉しいと思う時が同じじゃないように。
とはいえ、人は決めつけておくことがないと生きて行きづらい側面もあります。
まったく自由だと何をしていいかわからなくなるから、何かを決めておくことによって安心して歩めるともいえるでしょうか?
私は不思議なことに、何も決めずに何も持たないことに執着してきました。
つまり、自分の自由を自分で奪って、持たないことに固執してきたようでもあります。
そのため、周りにはおそらく迷惑をかけてきたことでしょう。
こんな人間もいるのだと、逆に励まされた方もいるかも知れません。
でも、私は意図してこうなったというより、何も確かなことはない、という哲学者のカントや、無知の知を説いたソクラテスに親近感を覚えていたのです。最近では、自然農法で世界に知られる無の哲学者だった福岡正信に深く共鳴していました。
そんな私がなぜオペラを?
上記の正信さんから、貴方は何故オペラなんかをしているのです?と出会った頃いきなり問いかけられたことがあります。咄嗟に「面白いからです」と答えたこともよく覚えています。彼はそれには何も答えませんでした。しかし実はいまもその答えしか思いつきません。
面白いからオペラをやってる、多くの関係者がこう聞くと「そんな気持ちでこんな多くの人を誘い込んできたのか」、と怒られそうですが、その通りだから仕方ないですね。世界平和とかユニバーサルデザインでオペラをやってきたつもりですが、実のところ、私の個人的な道楽に付き合ってもらってるだけかも知れません。
東京オペラ協会が目指している世界平和に役立ち立ちということに嘘はないでしょうが、出演関係者の皆さんの考えが同じでないことは仕方ありません。そのうち、近づくこともあるだろう、くらいに思っています。
今、力を入れているオペラ「忘れられた少年」の映画化。
これが当会の転機になるのか、最後の足掻きになるのか、興味深いところですが、実はこれもなるようになるだけだと思っているのです。このオペラについては世界中で170回もの公演を続け、それなりの評価を頂いてきたので今更力説することはありませんが、舞台では表現しきれないことを映画化することによってよりはっきりと表現できるだろうという気持ちでスタートしました。
おそらく、膨大なお金がかかるだろうにどう資金集めするのか?と皆さん心配されています。まさにそのご心配通りなのですが、この映画化が神のみ旨や大自然の流れに沿ったものならやがてうまくいくだろう、と思っています。あまりに楽天的過ぎると呆れられることも想像していますが、すべてわからない、と思っているので仕方ないですね。
でもね、皆さん。
この世界に何か訴えたいことがあるから、やり続けてみたいのです。
それだけです。
それを推し進めるには、本物の情熱が必要でしょう。それも巨大な情熱が。
私は最近思います。いろいろ恵まれすぎていたため、その情熱を燻ぶらせていたのでは。
今もやりたいことが多々散在する中、湧き上がってくる情熱をこの映画化にぶつけていきたいと密かに思い出しています。
こんな情熱に付き合ってくれる方がいらっしゃるのだろうか?