家族観が揺れている・・・川崎児童殺傷事件と練馬長男刺殺事件について考える
川崎の児童および保護者殺傷事件と練馬の元農林水産次官による長男刺〇事件では、中高年の引きこもりが問題になっています。川崎事件の犯人(51)には中学卒業以後の顔写真がなく、中学の卒業アルバムの写真が使われていました。幼少時に両親は離婚。伯父夫妻に引き取られたようです。不思議なのは、中学卒業から自〇時まで約36年間の生活状況が不明だということです。働いた様子はなく、この間、伯父夫妻の下で引きこもり状態だったようです。一方、元次官(76)の長男(44)は中二頃に家庭内暴力が始まったようですが、中高一貫校を卒業し、私立大、専門学校、大学院に学び、就職もしたようです。事件勃発時は、都内の別の場所から実家に戻った直後で、すぐに、引きこもり状態になったようで、再び家庭内暴力も始まり、事件に及んだ模様です。
何故、このような事件が起こったのか。根源には、家庭教育の不在があると考えられます。川崎事件の方は、伯父夫妻に甥に対する遠慮があったのかも知れません。だから、躾けも含め対応に甘さがあったのでしょう。また、練馬事件の方は父親は高級官僚で、仕事に追われて、家庭を顧みる余裕がなかったのかも知れません。
しかし、根本問題は「家族観」の揺らぎです。野田市の事件でも申し上げましたが、夫婦関係、親子関係、嫁姑関係等・「家族観(思想)の国民的同意」が急がれます。枠(家庭)があってもルール(家族関係)がない。旧家族制度はこの枠とルールを提供するものでした。戦後社会はそれに代わるものを提供してきませんでした。
最後に、今回の二件の事件。家族制度が機能していたらどうなったか、考えてみたいと思います。まず、川崎の事例。当人は親に見捨てられて、悔しかったはずです。それなら、独立し、自らイエを立て、家長となればよい。引きこもるなどまさに恥と考えるはずです。次に、元次官の事例。現役中から家長として、家族をまとめ、長男に対しても、威厳をもって臨めたはずです。長男も引きこもりなどにならなかったはずです。第一、長男はイエを継がなくてはならないのですから、引きこもっいる暇などないはずです。
憲法を筆頭として、戦後体制は今や多くの箇所にほころびが生じています。亡国につながりかねない事例もあるやも知れません。速やかな国民的議論が俟たれます。