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スレッドNo.122

老子でジャーナル

老子第30章
 道を以(も)って人主(じんしゅ)を佐(たす)くる者は、兵を以って天下に強ならず。その事、還(かえ)るを好む。師の処(お)る所は、荊棘(けいきょく)生じ、大軍ののちには、必ず凶年(きょうねん)有り。善くする者は果(な)すのみ。敢えて以て強を取らず。果(な)して矜(ほこ)るなく、果して伐(ほこ)るなく、果して驕(おご)るなし。果たして已(や)むことを得ず。果して強なるなし。物壮(そう)なれば則ち老ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已む。

 無為自然の道で君主を補佐しようとする者は、武力で天下を強大ならしめようとはせず、その政治は根本の道に立ち返ろうとする。それというのも軍隊の駐屯地には、荊棘(いばら)が生えて田畑は荒れ果て、大きな戦争の後には、必ずや飢饉がやってくるからだ。善い政治とは、果実(このみ)の熟れるように、まったく無為にして成るもの、無理をして国の強大など求めないのだ。無為にして成して誇ら顔をせす、無為にして成して思い上がらない。無為にして成して已むを得ぬ必然の道理に従ってゆき、無為にして成して強大を求めない。物はすべて威勢が良すぎると、やがてその衰えがくる。これを不自然なふるまいという。不自然なふるまいは、すぐに行き詰まるのだ。

※浩→ここでは、作為的に「天下を取る」ことの不可能を論じた前章と関連して、「兵を以て天下に強ならんとする」こと、すなわち武力による世界制覇を「不道」として否定し、この当時、為政者たちの最大の関心事であった富国強兵の軍国主義を、人民たちの生活を踏みにじる権力の虚傲として手厳しく批判しています。儒家で言えばさしずめ孟子の“覇道政治”に対する“王道政治”というところでしょうか。厳密には違うでしょうが。古今東西の政治で哲学者の提唱する“徳治主義”は受け入れられることはほとんどなく、プラトンも孔子も失望して、結局、弟子たちの教育に活動をシフトしています。いつの時代も教育の力は大きいです。現在のわが国の教育情勢にはほとんど失望します。教育行政がマンネリ・形骸化して創造性に欠け、しかも現場の教師の業務は過大で、超長時間労働、さらには低賃金と、まったく魅力に欠けます。教員志望者も激減しているそうで、このままでは日本の学校教育、特に公立学校の教育は破綻するおそれがありそうです。
 老子は必ずしも戦争を絶対的に否定するものではなく、「已むを得ずして之を用うる」場合のあることは認めていますが、彼が戦争を批判する主要な理由が、それが無為自然の真理に背く権力者たちの「不道」の行為であり、それによって人間が生きるための根本的な条件──食糧を確保する農村が破壊され荒廃するからでした。老子にとって戦争は、人間の生存を脅かし、人為の無理強いを強行する最大の“反自然”でした。彼はこのような戦争の“反自然”を各所で手厳しく批判してますが、ここはその最初の論述です。永世中立国のスイスは、強力な軍隊を持っているそうです。そして、それを使うことはない。これです。何も備えを持たずして、自国の平和を確保できるほど、世界は安全なところでないことは昨今の世界情勢からもわかります。

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