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論語でジャーナル’25

第六 雍也篇
1,子曰く、雍(よう)や南面せしむべし。

 先生(孔子)が言われた。「雍という男は、人の上に立って指揮ができる人物である」。

※浩→この篇の前半は、弟子や同時代の人物について論じたので、前の「公冶長篇」の続編のような性格を持っています。おそらく竹簡や木簡の容量が足りなくて、この篇の前半に納められたのでしょう。
 雍は冉雍(ぜんよう)のことで、字(あざな)は仲弓(ちゅうきゅう)です。『論語』では一般に仲弓で通っているそうです。春秋戦国時代の礼制では、天子・諸侯・士大夫といった支配階級は南を向いて座り、北に向いて座った臣下の礼を受けることを言います。「南面せしむべし」とは、天子をはじめ人の上に立つことのできる人物だということです。 私も、師匠の野田俊作先生に高く(?)評価していただいたことが、少々あります。1つは、カウンセラー資格を修得してから毎週金曜日の「事例検討会」(当時のアドラーギルド@新大阪)に出席していたころ、先生から「カウンセラー養成講座の優等生が2人いる。1人は東京の伊東毅さんで、もう1人は岡山の大森浩さんです」と。2つ目は1993年の京都総会のシンポジストに選ばれたことです。まだカウンセラーになりたてでしたが、あとで野田先生におたずねしたら「声の大きい人がいいから」ということでした(笑)。3つ目は、その総会で、「大森さんは毎週岡山から大阪へ新幹線で学びに来られます。これがほんとの学ぶスタイルです。みんな自分のところへ私を呼ぼうとします」と全体に向けておっしゃってくださったことです。今冷静に考えると、これらは単にお世辞だったのか、それとも「できの悪そうな」私をマインドコントロールされたのかわかりませんが、先生からこんな最大限の勇気づけをいただいたおかげて、ウソでも現在それなりに活躍できています。仲弓のように「南面」して人の上に立つことなど夢にも思いませんが、南面(現在は正確には西面)して毎月、講義はしています。

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ハングル講座5/6

第16課 固有数詞
 固有数詞は韓国固有の数詞。日本語の「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」…に相当する。

<キーフレーズ>
「3名です」
セミョン イエヨ
세 명이에요.
「あとで1名さらに(さらに1名)来ます」
ナジュンエ ハンミョン ト ワヨ
나중에 한 명 더 와요.

<固有数詞>
1つ 하나(ハナ)
2つ 둘(トゥル)
3つ 셋(セッ)
4つ 넷(ネッ)
5つ 다섯(タソッ)
6つ 여섯(ヨソッ)
7つ 일곱(イルゴプ)
8つ 여덟(ヨドル)
9つ 아홉(アホプ)
10 열(ヨル)

11 열하나(ヨラナ)12 열둘(ヨルドゥル)13 열셋(ヨルセッ)14 열넷(ヨルレッ)
15 열다섯(ヨルダソッ)16 열여섯(ヨルリョソッ)17 열일곱(ヨリルゴプ)
18 열여덟(ヨルリョドル)19 열아홉(ヨラホプ)

20 스물 スムr
30 서룬 ソルン
40 마흔 マフン
50 쉰 シュイン
69 여순 イェスン
70 일흔 イrン
80 여든 ヨドゥン
90 아흔 アフン

99 아흔아홉(アフナホプ)

<固有数詞の「100~1兆」>
 100以降〜1兆までは漢数詞と同じ数え方です!

100 백(ペッ)
1000 천(チョン)
10000 만(マン)
10万 십만(シムマン)
100万 백만(ペンマン)
1000万 천만(チョンマン)
億 억(オッ)
兆 조(チョ)

<固有名詞で数える場合>
 ~名=~명 ミョン   ~歳=~살 サr   ~時=~시 シ
 ~個=~개 ケ   ~匹=~마리 マリ
※「ひとつ」~「よっつ」までは変形する。
1名=한 명 ハンミョン   2名=두 명 トゥミョン
3名=세 명 セミョン    4名=네 명 ネミョン

<聞き取り>
「コーヒー2つ」
コ’ピ’ トゥr
커피 둘.
「コーヒー2杯」
コ’ピ’ トゥジャン
커피 두 잔.

<ワンポイント>
 お膳=밥상 パpサン
「行ってきます」
タニョオrケヨ
다녀올게요.
「ただいま」
タニョワッソヨ
다녀왔어요.

<ステップアップ>
 電車などの行き方を案内する
・~(場所)で=~에서  エソ
・~線に乗って=~선을 타고  ソヌr タ’ゴ
・~線に乗り換えて=~선으로 갈아타고  ソヌロ カラタ’ゴ
・降りればいいです
매리면 돼요.
ネリミョン ドェヨ
浅草で銀座線に乗って上野で降りればいいです。
アサク’サエソ キンジャソヌr タ’ゴ ウエノエソ ネリミョン ドェヨ
아사쿠사에서 긴자선을 타고 우에노에서 내리면 돼요.
「原宿へ行くには?」
浅草で銀座線に乗ってずっと行きます。渋谷で山手線に乗り換えて原宿で降りればいいです。
アサクサエソ キンジャソヌr タゴ ッチュ カヨ。シブヤエソ ヤマノテソヌロ カラタゴ ハラジュクエソ ネリミョン ドェヨ
아사쿠사에서 긴자선을 타고 쭉 가요. 시부야에서 야마노테선으로 갈아타고 하라주쿠에서 내리면 돼요.
「銀座に行くには」…
ここ浅草で銀座線に乗って銀座で降りればいいです。
ヨギ アサクサエソ キンジャソヌr タゴ キンジャエソ ネリミョン ドェヨ
여기 아사쿠사에서 긴자선을 타고 긴자에서 내리면돼요.

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論語でジャーナル’25

30,子貢曰く、如(も)し能く(よく)博く民に施して能く衆を済(すく)わば如何(いかん)、仁と謂うべきか。子曰く、何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯舜もそれ猶(な)おこれを病めり。夫(そ)れ仁者は己(おのれ)立たんと欲して人を立たしめ、己達せんと欲して人を達せしむ。能く近く譬えをとる。仁の方(みち)と謂うべきのみ。

 子貢がおたずねした。「もし国民に広く恩恵を与え、多くの人々を救済することができるならば、いかがでしょう。仁と言ってよいでありましょうか?」。先生が答えられた。「どうして仁くらいにとどまるだろうか。最高の道徳者「聖」にしてはじめてできることである。いや聖人にさえ、無造作にできることではない。古代の聖人・堯と舜さえも、それらを悩みの種、難しいこととしたであろう。およそ仁者は、自分が立ちたければ、まず他人を立たせ、自分が達したいと思えば、他人を達せさせる。何事をも、身近な自分の身の上について事柄を考える。あることを他人にしようとする場合には、それが自らの身の上に加えられた場合には、どうであろうかと、近い自分の身の上について考える。これが仁を実践する方法である。

※浩→子貢が政治家としての立場から人民の福祉を増進し、多くの民を救うのは、仁の徳を実現する政策ではないかと質問しました。これに対して孔子は、古代の理想の君主であり聖人と言われる堯・舜ですら、容易に実現できなかった理想だと、正面から論ずるのを避けたのです。春秋末期の列国は、戦争・内乱が相次いで起こり、豪族が農地を兼併し大土地所有が進行していました。人民の福祉の向上、民の救済にはとても手が回らなかったのです。ですから子貢の理想を空想だと退けました。孔子はもっと現実に立ち、自分の周囲に仁を及ぼし、それから次第に拡大するのが実際的だと考えました。人間への愛は、広漠な人類愛という形から出発するよりも、そうした理想を持ちながらも、実践は近くから始めなければならぬという、儒家の考え方が示されています。
 「能く博く民に施して能く衆を済わば……」というのは高邁な理想で、「仁」を超えた「聖」の領域で、古代の聖人王でさえ実現は困難だったと指摘した上で、具体的に仁の実践は、「まず人を立たせ、人に達成させ」と説きます。これはアドラー心理学の「共同体感覚」と「自己執着」の対比を彷彿させます。ちなみに、アドラー心理学は「しあわせの心理学」だと言われます。
「1,しあわせになろう」
「2,そのためには人をしあわせにしよう」
「1と2は同じことである」
 「人をしあわせにする」といえば、『クリスマス・キャロル』を思い出します。主人公は、スクルージという初老の商人で、冷酷無慈悲、エゴイスト、守銭奴、人間の心の暖かみや愛情などとはまったく無縁の日々を送っている人物で、ロンドンの下町近くに事務所を構え、薄給で書記を雇い、血も涙もない、強欲で、金儲け一筋の商売を続け、隣人からも、取引相手の商人たちからも蛇蝎のごとく嫌われている。共同経営者・ジェイコブ・マーレイの葬儀に、彼へのお布施を渋り、冥銭を持ち去るほどであった。
 明日はクリスマスという夜、事務所を閉めて自宅に戻ったスクルージは、7年前に亡くなったマーレイ老人の亡霊の訪問を受ける。マーレイの亡霊は、金銭欲や物欲に取り付かれた人間がいかに悲惨な運命となるか、生前の罪に比例して増えた鎖にまみれた自分自身を例としてスクルージに諭し、スクルージが自分以上に悲惨な結末を回避し、新しい人生へと生き方を変えるため、3人の精霊がこれから彼の前に出現すると伝える。
 「第一の幽霊」(過去)、「第二の幽霊」(現在)、そして「第三の幽霊」(未来)である。
 第一の幽霊(過去)は、スクルージが忘れきっていた少年時代に彼を引き戻し、孤独の中で、しかし夢を持っていた時代を目の当たりに見せる、また青年時代のスクルージの姿も見せ、金銭欲と物欲の塊となる以前のまだ素朴な心を持っていた過去の姿、そしてかつての恋人との出会いからすれ違いによる破局を示す。
 第二の幽霊(現在)はスクルージをロンドンのさまざまな場所に導き、貧しい中、しかし明るい家庭を築いて、ささやかな愛で結ばれたクラチット家の家族の情景、楽しい夕食会をしている甥フレッドの姿を見せる。クラチットの末子は脚が悪く病がちで、長くは生きられない。
 第二の幽霊と共に世界中を飛び回って見聞を広めたスクルージは、疲れ切って眠る。そして再度目覚めると、そこには不気味な第三の幽霊(未来)がスクルージを待っている。スクルージは、評判の非常に悪い男が死んだという話を聞くが、未来のクリスマスには自分の姿がない。評判の悪い男のシーツに包まれた無惨な死体や、その男の衣服まではぎとる日雇い女。また、盗品専門に買い取りを行う古物商の老人や、その家で、盗んできた品物を売りに老人と交渉する3人の男女の浅ましい様などを見る。また、クラチットの末子ティム少年が、両親の希望も空しく世を去ったことを知る。そして草むし荒れ果てた墓場で、見捨てられた墓碑に銘として記されていた自らの名をスクルージは読む。
 スクルージは激しい衝撃に襲われるが、クリスマスの始まる夜明けと共に、悪夢のような未来が、まだ変えることができる可能性があることを知る。彼はマーレイと3人の幽霊たちに感謝と改心の誓いをし、クラチット家にご馳走を贈り、再会した紳士たちに寄付を申し出、フレッドの夕食会に出向く。そしてその翌日、クラチットの雇用を見直すとともに彼の家族への援助を決意する。
 のちにスクルージは、病気も治ったティムの第二の父とも呼べる程の存在となり、「ロンドンで一番クリスマスの楽しみ方を知っている人」と言われるようになるのだった。
 このお話はハッピーエンドですが、もう1つ思い出した「幸福な王子」は、ラストが悲惨に思えます。(宝石で飾られた)王子(の像)に頼まれてあちこちへ宝石を運んで、ついに目ざすエジプトへ帰れず、力尽きて死んだツバメはどうなるのさ!「フランダースの犬」のネロと同じで、神様が天国へ招きますから、やっぱりハッピーエンドなんでしょうか。納得がいきません。やはりこの世でハッピーになってほしいと願います。
 このお話は大好きなので、長いのを引用します。
 昔、ある町に王子の像が立っていました。身体は金箔に覆われ、両目の瞳はサファイヤ、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、心臓は鉛でつくられた美しい像です。そこへエジプトへ渡る最中の一羽のツバメが、寝床を探して像のところまでやって来ました。ツバメが王子の像の足元で寝ようとすると、頭上から大粒の涙が降って来ます。見ると金箔の王子の像が泣いていました。王子の像は、その視界に入ってくる貧しい人たちの生活ぶりを見て、悲しんでいたのでした。そして王子の像はツバメに「貧しい人たちに自分の身体に付いている宝石を分け与えてくれ」と頼みます。ツバメは願いを聞き入れ、病気に苦しむ子供のいる家族にルビーを届けます。
 願いを聞き遂げ、出発しようとしていたツバメでしたが、その翌日、王子の像は「まだ飢えに苦しんでいる人たちがいる、もう1日だけ待っておくれ」願います。早く出立したかったツバメですが、王子の切なる願いを聞き入れ、目のサファイアを貧しい劇作家に配ります。いよいよ出立しないと間に合わなくなったツバメは、ついに王子の像に別れを告げようとします。しかし王子の像の嘆きは収まりません。王子の像はまた「あと1日待っておくれ」と願い、もう1つの瞳のサファイアをマッチ売りの少女に渡してくれるよう頼むのでした。ツバメは「そんなことをしたら目が見えなくなる」と心配しましたが、「貧しい人が救われるなら」と王子の像は考えを変えません。その優しい心に触れたツバメは、エジプトへ渡ることを諦め、最後まで王子の像の願いを聞き遂げる決意をしました。ツバメは視力を失った王子の像のため、町の様子を彼に伝えるようになりました。
 王子の像は自分の身体の金箔を配るよう願いましたが、配れば配るほど王子の像はどんどん見すぼらしい姿に変わり果てていきました。そして王子の像からかつての綺羅びやかな様子が消えた頃、町は冬を迎えます。寒さに耐えられないツバメは身体がすっかり弱ってしまっていました。死期を悟ったツバメは、最期に王子の願いが聞けて幸せだったことを告げ、最後の力で飛び上がり王子の像にキスをすると、ついに力尽きてしまいました。それを聞いた王子の像は、ツバメが死んでしまったことに大きなショックを受け、ついに鉛の心臓が割れてしまいました。
 2人が動かなくなった翌朝、町の人々は「いつの間にか美しくなくなってしまった。溶かしてしまう」と、王子の像を溶鉱炉にかけてしまいました。しかし鉛の心臓だけは溶けなかったので、ツバメの死体と一緒にゴミ置き場に捨てられてしまいました。
 そのころ、神様が天使と一緒にこの町へやって来ました。神様が天使に「この町で一番美しいものを持って来なさい」と命じました。天使は、割れた鉛の心臓と、ツバメの屍を持ってきました。神様は「確かに、これぞこの町で一番美しいものだ。2人は天国に連れていってやろう」。
 やっぱり、「フランダースの犬」と似たラストです。(「雍也篇」完)

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中国語講座5/4

第25課 接続詞と複文
<接続詞を使わない場合>
Ta1 lai2, wo3 qu3.
他来,我去。
 ※接続詞も副詞も使ってないが、話し言葉では前後の文脈で関係がわかる場合は、そのままつなげることが多い。
 彼が来るから、私は行く。
 彼は来るが、私は行く。
 彼が来るなら、私は行く。
 彼が来ても、私は行く。

Bu4 tong2yi4 bie2 mian3qiang3.
不同意别勉强。
同意しないなら無理強いするのはよそう。 @勉強=無理強いする
Dong1xi bu4 hao3 bu2 yao4.
东西不好不要。
物は良くなかったから要りません。
 ※どちらも複文だが、単文のように圧縮している。

<日本での経験> 感動した景色は?
上高地 Shang4gao1di4 上高地
水と空気 shui3 he2 kong1qi4 水和空气
桜 ying1hua1 樱花
お花見 xin1shang3 ying1hua1(shang3 ying1) 欣赏樱花(赏樱)
雪景色 xue3jing3 雪景
一面真っ白な世界 yi2 pian4 bai2se4 de shi4jie4 一片白色的世界
知床半島 Zhi1chuang2 Ban4dao3 知床半島
理想郷 shi4wai4 tao2yuan2 世外桃源
初日の出 xin1nian2 ri4chu1 新年日出

<新年の挨拶>
「明けましておめでとう!」
Xin1nian2 hao3! 新年好。(新暦・旧暦どちらにも)
Xin1nian2 kuai4le4! 新年快乐!(口語や年賀状に)
Guo4nian2 hao3! 过年好!(春節つまり旧正月に使われる)
Chun1jie2 hao3 春节好!(これも春節用)
「良いお年を!」
Bai4 ge zao3 nian2! 拜个早年!
「ご商売が繁盛しますように!」
Gong1xi3 fa1cai2! 恭喜发财!

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論語でジャーナル’25

29,子曰く、中庸の徳たる、それ至れるかな、民鮮(すく)なきこと久し。

 先生が言われた。「中庸という徳は、なんと完全無欠なものだろう。それにつけて、人民にその徳が欠けるようになってから、なんと久しくなったことだろう」。

※浩→中庸は「過不及がないこと」、庸は「平常」という意味。「世界の名著」ではこれだけの解説ですませていて、素っ気ないですから、吉川幸次郎先生の詳しい解説を参照します。
 『中庸』は、孔子の孫である子思の作として、漢代には『礼記』の一篇となりました。宋以後は「四書」の一つとして極度の尊重を受けました。
 「中庸」の『中』とは、偏らないことではありますが、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではありません。「中間」、「平均値」、「足して2で割る」というものではなくて、常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものです。
 『庸』は「常」であって偏頗(へんぱ)でないもの、奇僻(きへき)でないもののことです。「事理の当(まさ)に然るべき」ところのものです。
 実際、『中庸』の冒頭には次のようにあります。
 中なるものは不偏不倚(ふへんふい)、過不及なきの名。庸は平常なり。
 この「中庸の徳」を常に発揮することは、聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなくて、誰にでも発揮することができるものだと考えられます。それなのに、その能力を持つ人間が乏しくなってから、ずいぶん時間を経たと孔子は嘆きます。孔子の時代ですらそうだったのですから、昨今の「礼の欠如ぶり」のひどさは当然と言えば当然だと言えるようです。
 関連して、西洋ではアリストテレスが「徳」を「知性的徳」と「倫理的(習性的)徳」に分けて、「知性的徳」の「知恵」と「思慮」のうちの「思慮」がその指導原理「中庸」に従って行動するとき「倫理的徳」が実現すると解いています。詳しくは『ニコマコス倫理学』などにあります。お釈迦様なら「四諦八正道」です。四諦は「4つの真理」で、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦、道諦。人生は「苦」、それは煩悩のなせる業(「集」)、煩悩を滅すれば苦は消滅(「滅」)、その道は八つ(「道」)。八つの道=八正道とはすなわち「中道」です。すなわち、正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精進(しょうしょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょじょう)です。これは野田先生の解説にしょっちゅう登場しています。
 私は、常々、日本から「礼(マナー)が消えて久しい」と嘆いています。まあ、自分のことは棚に上げてはいますが。特に孟子の四端の心のうちの「辞譲の心」がほとんど忘れれているように思います。とにかく譲り合わなくてしかも競合的です。それでも「辞譲」の徳が全滅ではないようです。ほんとに稀に、こちらの「礼」にきちんと応じてくれる人に出会います。その日はそれだけでしあわせを感じます。世の中、まだまだ捨てたもんじゃないと、そのときは少し安心します。ペットボトルと携帯電話の普及で、公衆マナーは消滅しました。備前市に「閑谷学校」という儒学の殿堂があります。そこで催される「論語の読誦」が、単なるイベントに終わることなく、その精神が日常生活で実践されることを願ってやみません。及ばずながら私も「学而篇」の、「曾子曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀(はか)りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝ふるか」を日々実践するように心がけています。

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