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スレッドNo.194

大森浩のカウンセリングケースから(2)─家庭内暴力をめぐるケース

3,考察
1)カウンセリングの技術
 カウンセリングの技術をかなり理解してきた時期でもあり、スムーズに展開しているように思えた。特に、「開いた質問」を多用していて、たくさんの情報を得ているので、カウンセラーが解釈投与しなくても、クライエント自身で気づくことが多かったようです。そのおかげで1回の面接で終結できたのかもしれません(手前味噌です)。
 面接形態は、集団カウンセリングでありながら、担任が傍聴者に徹したので、結果として個人カウンセリングの形態となった。せっかく3人同席しているのであるから、家庭での親子コミュニケーションのロールプレイなども実施できたと、あとから思いました。

2)目標の一致
 目標の一致をはかるためのカウンセラーの発言としては、CO⑱「ごもっともです。これからどうしましょう」が該当すると思います。しかし、ここではタイミングが合わず、沈黙という抵抗に遭っています。ここよりもむしろ、CO⑫「ほんとは、お母さんと仲良くしたのではないでしょうか?」~(認識反射)「そういえば、時には肩をもんでくれることもあるんですよ」で認識反射が出ているし、それまでの険しかった表情がなごんで、話題が前向きに変化しています。ここを「てこの支点」にして、解決構成の目標を設定していけば、あるいは別の展開になったかもしれません。目標一致の重要性をほんとに理解して実践できるようになるのは、もっとのちのことで、この時期はまだそれが曖昧なままで動いていたようです。

3)その後のIPとの関係
 筆者はIPのクラスで「現代社会」を担当しています。母親カウンセリングから少しあとに、授業後にIPから質問されました。
IP:先生、親が一々口うるさく言うのには、どうしたらいい?
CO:例えば、どんなこと?
IP:酒を飲んで帰ってきて、「出かける前に頼んでおいたことをしていない」とか。
CO:うーん。できたら、放課後、相談室に僕をたずねてきてくれないかな?

 放課後、教育相談室で改めて話を聞き直しました。IPが語ったことは次のとおりです。
 父親が病死して、母1人で3人の子どもの養育は手に余るので、小学校の間、自分は施設に預けられていた。中学に入ると母親に引き取られて、それまでずっと親と一緒にいた妹と、母親の“男”(いい人だとIPは言う)と同居するようになった。一応母子家庭なので、生活保護をもらっている。母親はパートの仕事に出ているが、酒を飲んで帰ってくる。体に悪いので「そんなに飲むな」と言うと、「ほっといてくれ」とくる。あまり飲むので、ときどき酒のビンを隠しておく。それでも見つけ出しては飲んでいる。「朝頼んでおいたゴミを出していない」とか、「妹の面倒を見ない」とか、口うるさくてたまらない。兄はすでに独立して職人になっている。ただし、IPによれば、独立と言うにはあまりにお粗末で、アパートの敷金や旅行の費用、小遣いまで母親に出してもらっている。母親は渋々ながらも求めれれば応じているとのこと。
 これを聞いて、あの母親はカウンセリングでの助言を実行していないことが判明しました。まさしく野田先生のコメントのとおりで、まんまと母親の策略に乗せられていました。特に、《SVC》③が命中です。カウンセリングの成果がまるで現れていません。カウンセリング場面で母親が語る子どもは、母親の頭の中の子どもで、実在する子どもではないのです。つれあいの“男”がいることなど言っていませんでした。ただ「子どもから暴力を受ける哀れな母親」だと被害者顔をするのに対して、カウンセラーは安易な勇気づけをして、良い気分で帰してしまったのです。

 そこで、原点に返って考え直しました。

  ───(?)──→ 
親            子
  ←──(暴力)──

 親の何らかの言動に反応して子どもは暴力という手段で応じているということであれば、改善には、親の「(?)」の部分を改めるか、あるいは子どもの「(暴力)に変わる代替案」を見つけるかということになります。母親と再度面接することはたぶんありえないでしょうが、さいわい子どもの側と会えました。
 母親は足も少し不自由で、IPはそれを気づかっていて、例えば、保護者懇談会などに「無理して来なくていい」と言っているそうです。なかなか親孝行です。《SVC》③で言われているとおり、IPはかなり我慢していて、ムチャクチャしているのは、ほんとに母親のほうでした。
 その後、IPとは授業以外でも、接触する機会が増えて、放課後などには教育相談室をよく訪れるようになりました。そこでの談話を通して、しだいに母親との感情的な対立を避ける選択ができるようになり、少し距離を置いて母親を見ることができるようになりました。
 ところが、3年生の秋になって、突然ものすごい剣幕で相談室へやって来ました。「先生、家を出るぞ!」と。母親の酒癖がますますひどくなり、今はほとんどアル中状態で、暴れるし、勉強どころではない。忠告しても一向に聞き入れないし、義父も手を焼く状態で、義父の勤務する会社の寮へ入れてもらうことになった。食事は会社の食堂を使わせてもらえる。このことでは義父が大変親身になって助けてくれた。ただ、無料でというわけにいかないので、冬休みなどに会社の仕事を手伝わせてもらうことで、いくらかでも埋め合わせしたい。
 と、こうしてIPは親の家を出て自立しました。担任は好きでないので、内緒にしていると言います。「それでも何かのときには担任の世話になるんでは?」と筆者が言うと、「それなら副担任に事情を話しておく」ということになりました。担任は、必要以上に家庭の様子を根掘り葉掘り聞くし、自分の考えを一方的に押しつけるから、話す気になれないとか。会社の繁忙期には、やむをえず学校を10日間欠席して(もちろん担任には無断で)仕事をして、義父への義理を果たしました。
 卒業までの半年間、ほとんど毎日相談室へやって来て、「ここへ来ると気持ちが落ち着く」と言ってリラックスしていました。当時の相談室は生徒が昼食のために来室できるようにしていて、カーペット敷きの室内のあちこちに座り込んで、弁当や購買で購入したパンなどを持参して、談笑しながら食していました。スタッフの席の足下にも誰かが座り込んで弁当を食べています。食後は、生徒などの寄付による相談室備え付けのマンガを読んだり、囲碁や将棋をして午後の授業の開始までを過ごします。アドラーギルドの「アザラシ村」の岡工版です。IPは面倒見のいい子で、下級生の相談にも乗るようになりました。カウンセラーのお株を奪われたみたいです。野田先生が、「思春期の良いところは、仲間が仲間を助けること」とおっしゃっていましたが、そのナマを相談室で見ることができました。ある日、下級生の数人がヒソヒソと、どうやら自転車窃盗のようなことを企んでいるようでした。それを耳にした彼は、そっと近づいて、「オマエラのすることに一々ケチをつける気はないが、盗まれたほうの身にもなってみろよ。どんだけ困るか」とたしなめます。言われたほうはグーの根も出なくて、しんみり納得していました。
 《SVC》②のとおりになりました。野田先生の慧眼に感動するばかりです。筆者は、クライエントの「かわいそうな私」に乗せられないためのポイントをまとめました。
1)暴力を生む親子コミュニケーションの構造を理解しておくこと。
2)アドラー心理学基本前提の「認知論(仮想論)」を忘れないこと。言葉は「地図」であって現場でない。一方の言い分を鵜呑みにしない。刑事ドラマではないが、「必ずウラをとる」ことか。


4,謝辞
 野田先生のまるで「予言」のようなコメントに驚き、感動いたしました。また、いつものようにアドラーギルドの事例検討会ご参加の方々からは、温かい勇気づけと適切な助言をいただきまして、厚くお礼申し上げます。
 さらに、岡山工業高校教育相談室のスタッフ各位には、執務の妨害にもなりかねない、来室者の言動に寛大に接してくださいまして、おかげさまで「岡工版」アザラシ村の建設が実現しました。生徒数千人を超える大規模校にあっても、心身ともにくつろげるスペースが存在することで、来室者たちは自分であるいは仲間によってたくさんの勇気をもらい、エネルギー満タンにして、またそれぞれのクラスに戻っていきます。形式的にきちんとしたカウンセリング形態をとらなくても、休憩時間、昼休み、放課後などに、何気なく相談室に立ち寄って、スタッフ教師と何気なく会話を交わすうちに、自分の抱いていた問題がいつの間にか解決しているというような場面に常々接していると、アドラー心理学の底力のようなものを見出した思いがいたします。スタッフの方々にも心からお礼を申し上げます。


5,参考文献
○野田俊作監修(1986)、実践カウンセリング、ヒューマンギルド出版部(絶版)
○ハリー・H・ヴォーラス&ラリー・ブレントロ著、菊池正彦役(1988)、若者が若者を変える、東京創元社
○片山交右著(1992)、心に庭にバクを飼う方法、アニマ2001

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