論語でジャーナル2024
有子曰く、其(そ)の人となりや孝悌にして上(かみ)を犯すことを好む者は鮮(すくな)し。上(かみ)を犯すことを好まずして乱をなすことを好む者は、未だ之れあらざるなり。君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず。孝悌なるものは、其れ仁の本(もと)なるか。
人柄が「孝悌」すなわち両親ときょうだいを大切にする人で、目上の者に逆らいたがる者はあまりいない。目上の者に逆らいたがらない者で、「乱」すなわち無秩序状態を起こしたがる者は、絶対にいない。「君子」すなわち紳士たる者は根本を大切につとめる。根本が確立してこそ道理が生じる。「孝悌」すなわち親・兄弟への敬愛こそ、「仁」すなわち広く人間に対する敬愛の根本であると言ってよいであろうね。
※浩→今日は弟子の有若(ゆうじゃく)が師匠の代役です。有子は孔子より13歳若く、弟子の中では長老でした。孔子の説く「愛」、すなわち「仁」はいわゆる博愛主義でないことがわかります。博愛主義(兼愛主義)は墨子の思想で、それは無差別・平等な愛でした。孔子の「仁」は、まず身内で実践しそれを順次広げていくという愛で、抽象的な博愛主義よりも現実的・実践的であるように思われます。儒学は江戸時代には朱子学が官学とされ、封建道徳を支えたこともあり、目下が目上に従うという考えは民主主義の現代にそぐわない感じもしますが、親を大切に思い、きょうだい仲良いということは現代でもそうありたいです。むしろ、現代では「家庭崩壊」とかいうことがあって、こっちのほうが問題でしょう。家庭の乱れは社会の乱れに通じますから、アドラーが家庭教育と学校教育を重視したことも十分すぎるくらい納得できます。アドラーは、家庭育児と学校教育で「共同体感覚」を育てると、究極的には戦争のない平和な世界を建設できると考えました。論語のこの1節とぴったり符合するように思えます。
『南総里見八犬伝』でおなじみの、「仁義礼智忠信孝悌」の内の「孝悌」の出所でもあります。『里見八犬伝』はたびたび映画にもなり、歌舞伎でもたびたび上演されています。三代目市川猿之助はスーパー歌舞伎という新しいスタイルでも上演して、人気を博しました。多くのファンがいて私もその1人です。現在の猿之助が不祥事を起こし、私が大好きだった先代猿之助さんも昨年他界されて、歌舞伎ファンとしてはまことに寂しい限りです。ただ、先代猿之助さんもお孫さん=団子さんが大活躍で、人気が一時地に落ちた感のした澤瀉屋の勢いを盛り返してくれるでしょう。その団子さんは、名作『ヤマトタケル』を東京で上演したのち、名古屋~大阪~博多と巡演しました。ただ、この作者の梅原猛さんを野田先生はあまりお好きじゃなかったんです。