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スレッドNo.203

論語でジャーナル2024

 子曰く、巧言令色、鮮(すくな)し仁。

 巧妙な飾りすぎた言葉、表情には、「仁」すなわち真実の愛情の要素は少ない。

※浩→有名なフレーズです。私は大学のボート部では質実剛健を体得したはずですが、暮らしに少しゆとりができると、見栄を張るようになって、岡山工業高校在職中には、“見栄の大森”という愛すべき?ニックネームをちょうだいしました。それでも、言葉や表情に誇張があったのではないと思っています。「弱い犬ほどよく吠える」というのをフロイト心理学では、「反動形成」と言いました。アドラー心理学では、「劣等感の補償」でしょう。高校時代まではスリムな体型で、胸はあばら骨が見えるようなモヤシ人間でした。手先は不器用でしたが、おしゃべりは得意で、大きくなったらアナウンサーになりたい、と、伯母に話したことがあります。高校では体育の授業で、球技が苦手で特にバレーボールのサーブが下手でした。ところが母は高等女学校でバレーボールの選手だったのに、全然似ていません。ただ、細身で持久力があったので、冬の体育の長距離走になると俄然本領を発揮しました。それから大学に入ると、ボート部に強引に勧誘されて拉致同然に引っ張り込まれてから次第に筋肉がついてきました。就職して生活習慣が変わるにつれて、また高校時代のようなモヤシ人間に戻りました。すると今度は長距離走が復活です。備前高校でボート部の顧問をしていたころは、毎年冬に行われる全校マラソン大会に必ず生徒諸君に混じって走りました。最高記録は「学年2位」です。1位は担任クラスの生徒でしかもボート部員の吉崎伸君でした。西片上の備前高校をスタートして和気道の清水峠で折り返す10キロほどのコースでした。それが、全国のボート部顧問のために日本漕艇協会が開いた筋肉トレーニングの講習会に参加したことから、再び筋トレに燃え、自分も部員とともに実践しました。そうしていると、選手よりもむしろ早く成果が出てまたマッチョに戻りました。一度マッチョになると、元に戻ることへの恐怖心から強迫的にトレーニングに励みます。岡山工業高校に転勤するとボート部がないので、学校近くのジムを見つけて、そこでトレーニングを続けました。私の様子を見て関心を持った生徒が何人か「一緒にトレーニングしたい」と言ってきて、「ウエイトトレーニング同好会」を立ち上げて、2002年の定年退職まで顧問を務めました。退職後も同好会で使っていたジムでトレーニングを続けていましたが、2006年3月にそのジムが経営不振のため倒産して、他のメンバーとともに奥田のジョイフィットに移りました。ここは岡山大学医学部の南にあり、車で30分ほどの距離で不便ながらも週3~4回は通っていました。1年ほどすると、わが家の近くにチェーン店ができて、オープンと同時にそこへ移籍して今日に至っています。年齢の割にはハードなトレーニングを続けています。

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