MENU
45,651

スレッドNo.217

論語でジャーナル’24

 子禽(しきん)子貢に問うて曰く、夫子(ふうし)はこの国に至るや、必ずその政(まつりごと)を聞く。之を求めたるか。そもそも之を与えたるか。子貢曰く、夫子は温良恭倹譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、それこれ人の之を求むるに異なるか。

 子禽が子貢にたずねた。夫子(先生)すなわち孔子は、その半生涯の遊歴の間に、ある国に着かれると、きっとその政治に参加された。それは先生のほうから要求されての結果だったのでしょうか。それとも向こうから相談を持ちかけられたのでしょうか。
 子貢は言った。先生は、温(おだやかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)、倹(つつましやかさ)、譲(ひかえめ)、この五つの人柄から、そうした結果を得られたのである。先生の要求の仕方は、そう、他人の要求の仕方とは違っているようだ、ね。

※浩→吉川幸次郎先生の解説(「中国古典選3 論語・上」朝日新聞社)では、文末に「か(与)」が3度現れるが、初めの「求めたるか」と「与えたるか」は単純な疑問であるが、最後の「か」は、みずからの判断に疑問を残して、決定を避ける語気である、とあります。
 「事実言葉」と「意見言葉」というのがあって、「あなたは恐い人だ」と言うと事実言葉で、「私はあなたが恐い」と言うと、個人的な意見・感想になります。英語では、“I-massage”と“You-massage”と言われます。意見を事実のように言わないように、意見は意見と自覚して言わないといけません。
 子貢先生は慎重な物言いをされる人のようです。孔子の人柄だとされる「温・良・恭・倹・譲」もわかりやすく、また私たちも実践したい徳だと思います。
 同時代に西のほうでは、ギリシアのプラトンが「哲人政治」を説いて諸国を漫遊していました。彼の説く「四元徳」すなわち「知恵・勇気・節制・正義」には西洋独特のクールさを感じられますが、孔子の人徳には温かみを感じます。自分が東洋人であるための贔屓からでしょうか。文末を「か」で終わりました(笑)。儒教といえば、わが国では封建社会を支える理論のように思えますが、それは江戸時代に徳川幕府が採用した「朱子学」のためでしょう。孔子の思想は、伝統を重んじながらも形式的な固定概念に対して批判的ですから、当時としては反土着思想であったように思います。やがて土着化していきますが。
 温(おだやかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)、倹(つつましやかさ)、譲(ひかえめ)の五つの徳を「おんりょうきょうけんじょう」と音読みで続けると、経文のようになって覚えやすいので、心して実践したいです。人間はどこまでも不完全で、どんなにアドラーの本を読み、講座に参加して学び、仲間と交流しても、完全悟りの境地に達して、一挙手一投足のすべてがアドラーということには決してならないと、野田先生がおっしゃっていました。「おんりょうきょうけんじょう」を少しずつでも実践して生きて、ふと気づくと、じわっとオーラが出ていて、一緒にいる人々が私といることで、どことなくほのぼのと温かく感じられるような、そんなことが今生で起きるかもしれませんが、わかりません。指導者・野田先生は、とかく悪口を言いそうになるのを防ぐためにいつも仏様の絵を持ち歩かれていて、カウンセラー養成講座のとき、それを机上に置かれていました。私がカッとなりそうなときには、妹がいつか「おにいちゃん、お腹を平らに」と言ってくれていたのを思い出すことにします。その後の妹はすでにそのことへの執着はなく、記憶が薄れたのでしょう。言われたほうはしっかり記憶しています。次の故事は、被害を受けた人と与えた人の間のことですが、「倒されし竹は静かに立ち上がり、倒せし雪は跡形もなし」と母がしょっちゅう言っていました。何気なく悪意もなく言ったことでも、言われたほうは傷つくこともあります。言葉は慎重に使いたいです。そのためにも、カウンセリングの学習で教わった、体の反応=認識反射に敏感でありたいです。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top