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スレッドNo.225

論語でジャーナル’24

 子曰く、君子は食飽くを求むることなく、居(きょ)安きを求むることなく、事に敏にして言に慎む。有道に就(つ)いて正す。学を好むと謂うべきのみ。

 紳士は、食事にあたって満腹を求めず、住居については安楽を求めない。行動に敏捷であり、そうして言語には慎重であれ。以上のような点に気をつけつつも、自己だけの判断では誤謬に陥るから、有徳の人に接近してその批判を求める。そうした行為をなしうる人物は、学問を好む者と判定してよかろう。

※浩→私の早期回想です。「幼稚園の卒園式のあと、講堂のステージ横の部屋にヘラ台のような細長いテーブルが置いてあった。そこに先生や友だちと並んで座って、紅白のお饅頭をいただいた」。
 早期回想というのは、アドラー心理学の性格分析技法の1つです。さて私の在職中にアドラー心理学の学習会を開催していて、終了後には必ず「懇親会」を開いていました。退職後、参加者の方々のご厚意によって、新たに会場を得て、継続することができました。ところが、二月(ふたつき)三月(みつき)経過した時点で、懇親会がないことに気づいて、私は少しスネていました。そでまでの私のライフスタイルですが、言葉ではっきり言わないでスネたりしてそぶりでアピールしていました。それに世話人さん方が気づかれて、私に事情を聞いてくださいました。理由をお話たところ、翌月から毎月必ず懇親会が開催されることになりました。この早期回想でわかります。「通過儀礼のような節目節目の行事を大事にする人」であることがわかります。「紅白のお饅頭」のほうに関心があるのであれば、「食いしん坊」だということになりそうです。確かにおいしいものをいただくのは今でも大好きです。
 私は高校までは田舎の本籍地で暮らしていました。父は大農家の末っ子で、本家の近所に一軒家をもらっていました。家の前に大きな納屋がありその中にお風呂がありました。納屋の部分には3台ほどの石臼があり、足でペダルのようなものを踏んで穀物をついていました。のちにこの納屋部分は撤去されてお風呂だけが小さな小屋として残りました。脱衣場はないので、母屋で衣服を脱いで玄関から裸で飛び出して、お風呂場に直行しました。お風呂は金属製の五右衛門風呂で、狭い流し場がありました。当時は水道はなくて、風呂水を家のそばのいつも水を湛えている堀からバケツ運んでいました。水は泥で少し濁っていましたが、今から思えば「温泉」みたいなものです。子どもたちも水運びをしました。飲み水や炊事には井戸水を使いました。竹竿についた釣瓶でくみ上げては、これまた桶やバケツで一々台所の水瓶に運んで使っていました。台所は土間で、流し場は地面に掘っているので、水仕事は母がしゃがみこんでやっていました。もちろん電気釜などはない時代です。ご飯は「竈(おくどさん)」で炊きます。「おくどさん」は関西では「へっつい」と言います。おかずの煮炊きは七輪を使っていました。「七輪」は関西では「かんてき」だそうで、落語で知りました。父はお百姓をしないでサラリーマンになり、日本通運に勤めていました。父の兄たちはみんな、田畑やマスカットの温室を持っているのに、父はこの家と畑だけを持つサラリーマンでした。それでも自宅前の畑には四季の野菜が植えられ、父と母が力を合わせて世話をしていました。キャベツや茄子、トマトや西瓜、トウモロコシや大根、人参と、ほとんど買うことなく自給できていました。今思い返すと、まるで「桃源郷」のようなのどかで平和な生活でした。私が高校へ行くころは、私の進学をめぐってか、両親の意見が対立して、母が強引に私を普通科進学校へ行かせ、学費を稼ぐために、岡山市内に住む従姉妹(いとこ=母の妹の娘、私と妹は「久保田のおばちゃん」と呼んでいた)のアパートに同居して一緒に和裁をしていました。私も、そこで暮らしたり、母の実家(岡山市内で内科を開業する母の兄の家)に一間を借りたり、時には妹が父と一緒に暮らす実家へ戻ったりをくり返して暮らし、大学生になりました。大学時代のことは「自叙伝」に書きました。
 田舎の実家での暮らしは、決して裕福なものではありませんでしたが、母が都会育ちで、節目節目のお祝いは必ずしていました。確か、毎月朔日(ついたち)にはお赤飯を炊いていました。春のお彼岸には「ぼた餅」を、秋のお彼岸には「おはぎ」を作り、五月の節句には「具だくさんのちらし寿司」を作り、家族の誕生日はお赤飯を炊き、クリスマスには、子どもたちの枕もとに、サンタクロースのプレゼントを靴下に入れてくれていました。こういう家庭で育った私は、節目節目の行事を大事にするようになったのでしょう。
 「行動に敏捷」に関しては、私はとかく“即断即決即破滅”(by野田先生)になりそうで、これは注意しないといけません。何ごとに関しても、結果を早く求める傾向があります。用心、用心。これを防ぐために、「自己の判断での誤謬」がないよう、賢者の知恵をあおぐことがほんとに必要です。
 本を読んで学ぶのはもちろん大切ですが、日常の実践において、物欲は控え目に、独り判断に頼らず、有徳者の判断を取り入れて慎重に生きている人は、学問を好む人と言える。 私にとって最高の有徳者はもちろん故・野田俊作先生です。

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