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スレッドNo.229

論語でジャーナル’24

 子曰く、人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)うるなり。

 先生が言われた。「他人が自分を認めないのは問題ではない。自分が他人を認めないほうが問題だ」。

※浩→アドラーの高弟・ルドルフ・ドライカースは、問題行動の4段階を示しました。その第一段階が「注目関心を得る」ことを主たる目標にする行動です。人は誰しも、他者から注目を得たいものですが、これは実は、乳児期の人間の特徴を引きずっているんです。乳児は確かに親など大人からの注目関心がないと生きていけませんが、大人になるとほんとはひとりでも生きていけるのに、多くの人が乳児期の名残りで、他者からの注目・承認を求め続けます。これはいわば病理です。そうでなくて、逆に、自分が他者の関心に関心を持って生きることが、“共同体感覚”にもとづく望ましい生き方です。今の世の中が住みにくいのは、まさしくこの共同体感覚の欠如によるものだと、日々至るとこでで痛感しています。
 ここは別の読み方もあります。「自分が人から認められないというのは、自分の悩みではない。認められるような点がないということこそ、悩みである」と。
 「学而篇」冒頭にも、「人知らずして慍ら(いから)ず、また君子ならずや」とありました。この篇の最初と最後が同じ教訓になっていることが興味深いです。
 日本人は特に「人からの評価、人にどう思われるか」を気にする特性があるそうです。以前、野田先生から日本人をテーマにしたジョークを聞いたことがあります。
 ♪♪♪動物園に象が来ました。それぞれの国の調教師が「象」をテーマにスピーチをしました。インド人の調教師は当然、「象の飼い方」について話しました。中国人は「象のおいしい料理法」について話しました。アメリカ人は「象のジョーク」をいくつか話して笑わせました。ドイツ人は「象の集団の規律と秩序」について話しました。日本人は「自分が象にどう思われているか」について話しました。(「学而編」完)

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