論語でジャーナル’24
子曰く、これを導くに政をもってし、これを斉(ととの)うるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥ありてかつ格(いた)る/格(ただ)し。
先生が言われた。「法令によって指導し、刑罰によって規制すると、人民は刑罰にさえかからなければ、何をしようと恥と思わない。道徳によって指導し、礼儀作法によって規制すると、人民は恥をかいてはいけないとして、自然に正しい道にいたる。
※浩→このまま学校の生活指導にも応用できそうです。厳しい校則で厳しく罰して生徒を縛ろうとすると、誰しも罰から逃れることばかり考えて、恥知らずのことを平気でするでしょう。校長はじめ教師がみずからの人徳を高めて、礼儀正しく、kind and firmに生徒に接すれば、生徒は教師をモデルとして学びますし、恥を知る人になり、正しい学校生活を送るようになるでしょう。野田先生は、学び方を三つ教えてくださいました。一つは、言葉で学ぶ。二つは、モデルで学ぶ。三つは、体験から学ぶ。このうち、最も効果が低いのは「言葉」で学ぶです。言われたとおりにすぐできるなら、苦労はないです。最も効果的なのは、自らの体験を通して学ぶことで、次がモデルで学ぶことです。そういえば、私が教師になったのは、中学の社会科の先生に憧れたからでした。
「格」は「格物致知」の「格」です。これを宋時代の朱子は、「知を致(いた)すは物に格(いた)るに在り」と読んで、自己の知識を最大に広めるには、それぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが先決であると解釈しました。一方、明(みん)の王陽明は、「知を致すは物を格(ただ)すに在り」と読んで、生まれつき備わっている良知を明らかにして、天理を悟ることが、すなわち自己の意思が発現した日常の万事の善悪を正すことであると解釈しました。アドラー心理学の「共同体感覚」を連想します。
備前高校(現・備前緑陽高校)のボート部に「岸本格」君という部員がいました。昭和48年に、私がボート部監督として、夏のインターハイで三重県の大台町へ引率しました。備前高校にはボート部の大先輩のI.S.さんがいらっしゃって、私はこの方の補佐的な役割でしたが、陸トレや水上練習は私が中心になって指導していました。のちに岡山工業高校の校長になられる片山博美先生は、当時、交通指導の主任として大活躍でしたが、私が放課後に部員たちとランニングをし、重康さんは同僚と囲碁を打たれていると、「大森さんに走らせて、あんたは碁を打っているのか」と冷やかされていました。
その岸本君は小柄でしたからコックス(舵取り)でした。彼は自己紹介で、必ず「格を“いたる”と読みます。格物致知の格です」と自慢そうに語っていました。1年生で入部するとすぐに対抗クルー(試合に出場できる野球で言えば一軍か)のコックスになりました。漕ぎ手の選手は3年生と2年生の上級生ばかりですが、彼はひるむことなく、ひとたび乗挺するとテキパキと号令をかけていました。ジンクスに、レース直前にコックスが水上で立ち小便をすると必勝だというのがありました。彼は大台町のインターハイでこれを実行して、先輩たちを慌てさせました。さすが、「格物致知」の岸本君です。
1998年の日本アドラー心理学会総会(名古屋)には、米国からジェーン・ネルセンさんという女性の大物アドレリアンが招かれて講演をなさいました。彼女が残してくれた名言が「Kind and firm(やさしくきっぱり)」です。「これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば」は凡人の私には、高すぎる目標ですが、「やさしくきっぱり」が実行できるようずっと心がけてきました。「やさしくなければ男でない」は高倉健さんですが、人にはやさしく自分には厳しくありたいものです。