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スレッドNo.243

論語でジャーナル’24

 子游(しゆう)、孝を問う。子曰く、今の孝はこれ能(よ)く養うを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うあり。敬せざれば何をもってか別(わか)たん。

 子游が孝についてたずねた。先生が言われた。「現在の孝行とは父母を扶養することを指している。犬でも馬でもみんな立派に扶養している。父母を敬う気持ちが欠けていれば、どうして人間と動物とを区別することができようか」。

※浩→子游は孔子より45歳年下の弟子で礼儀作法に詳しかった。あまりに礼儀作法の枝葉末節をやかましく言う傾向があったので、「父母に対する尊敬の気持ちがこもっていなければ、いかに礼儀作法がしきたりにかなっていても、孝行にはならない」と、軽くたしなめています。
 孝行についての弟子たちの質問に対する孔子の答え方はまちまちで、孔子に一貫性がないと批判する学者もあるかもしれないですが、孔子は「人を見て法を説く」のです。あらゆる政治家、あらゆる弟子に対して、その短所をたしなめ、長所を伸ばす教育的立場から答えています。アドラー心理学で言えば、「不適切な行動に注目しないで適切な行動に注目する」勇気づけでしょうか。野田俊作先生も、相手の立場・経験・能力に応じて、アドラー心理学の伝え方が違っていました。入門レベルの人が少々間違えて、他人の課題の侵害をしたり勇気くじきをしても、「急いで変わらなくていい」と寛大でした。中級レベル以上になると、厳しく接するようになりました。こちらが愚問を発したりすると、そっけなく返されます。無責任なことをすると厳しく追及されました。
 私も自分の事例をアドラーギルドの事例検討会に持参して教えを仰いでいたころは、それはそれは懇切丁寧に教えてくださいました。ある時期を過ぎると、そっけなく突き放されたように感じられて、落ち込んだこともあります。ということは、私も初級レベルを脱して中級レベル以上に到達したということだったのでしょうか。カウンセラー養成講座に見学者として参加したとき、休憩時間に先生が「クラシック音楽は視覚的だ」とおっしゃっていたのが耳に入って、近くに座っていた私が、「そう言えばデュカスの『魔法使いの弟子』なんかその典型ですね」と言うと、いたくご満足の様子でした。講義中に「勇気づけの歌」の小冊子を私が、愛用のルーペで見ていたら、野田先生がそれを見つけて、「おー、すごいので見てるね。私も使っているけど」とおっしゃると、みんなが私に注目しました。こういうさりげないことでも私を無視していないよというメッセージを送ってくださっているのかもしれません。K先生はトイレでよく野田先生と並んで小用をなさることが多くて、安倍内閣のころ、“連れ○○○”をしながら、「加計は大変ですね」とおっしゃいました。彼が岡山理科大の出身で、中島弘徳さんの先輩だということをしっかり覚えていらっしゃるんですね。野田先生をとりまいているおばさま連中と違って、K先生と私には先生のほうからも必ず接近してみえました。K先生は癒やし系で、近くにいるだけで安らぐことは、私もしょっちゅう体験しています。彼は今、愛媛県でラグビーの合宿です。8日の地震では揺れたでしょう。このあと、ご実家の薩摩へ長めの帰省です。しっかり親孝行をなさるはずです。私が再会できるのは24日(土)の岡工講座です。薩摩も今回の地震の影響が大きかったです。ご安全に過ごされますように。

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