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スレッドNo.245

論語でジャーナル’24

 子夏、孝を問う。子曰く、色難(かた)し。事あれば弟子(ていし)その労に服し、酒食(しゅし)あれば先生に饌(せん)す。曾(すなわ)ち是(これ)以って孝と為さんや。

 子夏が孝行とは何かとたずねた。先生が言われた。「気持ちを顔に表すことが問題だ。村の行事に若者たちが労力を奉仕する。終わって宴会が始まると、年配の方にご馳走をさしあげる。これと同じように、父母に通り一遍の奉仕をしているのが孝行と言えるだろうかね」。

※浩→「弟子(ていし)」はここでは“郷党”つまり村の青年組合に属する若い衆を指します。「先生」は文字どおり、「先に生まれた人」のこと。郷党の寄り合いは、年齢階級によって秩序づけられている。若者、つまり弟子は先生つまり年輩者に奉仕する立て前であった。そういえば、今の中国語で「先生」はteacherのことではなくて、男性に敬意を持って呼ぶときに使います。teacherは「老師 lao3shi1」です。
 孟子の教えに「五倫」というのがあります。人の守るべき五つの道で、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友 (ほうゆう) の信です。いつの時代でも、「今どきの若い者は……」と言われるようですが、最近の様子を見ると、若者のほうがかえって礼儀正しくて、大人のほうが不作法だと感じることがよくあります。狭い道を車ですれ違うとき、私も昔はわれ先にと突っ込んでいましたが、アドラー心理学を学ぶようになってからは、「競合」から「協力」へと態度を変えることにしました。必ず自分のほうが待って、相手に譲ります。そのとき、すれ違う対向車を見ていると、ほとんどのドライバーが素知らぬ顔で通り過ぎます。かつてはすれ違うほとんどのドライバーが、軽く会釈したり手を挙げたりして通り過ぎていました。ペットボトルと携帯電話が普及してからこの国からマナーが消えたように思われます。昔は道を歩きながらお茶を飲んでいる人はいませんでした。今は当たり前になりました。スーパーで買い物して袋詰めしたあと、トレイをボーンと放り投げて戻している人をけっこう見かけます。だいたい女性のようです。レイに恨みでもあるのかと思えるくらい乱暴です。ところが、自転車や徒歩の中高生男子が横断歩道を渡ろうとして車の通過を待っているので、私が停車すると、ほとんどの子が一礼して通り過ぎます。これだけでもジーンと感動して、素敵なプレゼントをもらったような気になれます。
 アドラー心理学には相互尊敬・相互信頼というキーワードがあります。アドレリアンの中にも結構不作法な方もいらっしゃるようですが、他山の石で、自分たちはそうならないように心がけます。NHKテレビ「関口知宏さんのヨーロッパ旅行記」でオランダが放映されていました。訪れるどの街も、ゴミ1つ落ちていないきれいな街です。日本にも、儒教の影響で「礼」の教えが入ってきたはずが、今はすっかり消滅したようです。今や「礼」とか「マナー」とか「お行儀」とかいう言葉は死語になってしまったようです。

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