MENU
45,808

スレッドNo.257

論語でジャーナル’24

 子曰く、君子は周(した)しみて比(おも)ねらず、小人は比ねりて周しまず。

 先生が言われた。「紳士は親しみ合うが、なれ合わない。つまらぬ人間はなれ合うが、親しまない」。

※浩→「周」も「比」も、一般的には親しみ合うことを意味しますが、ここで言われているように、親しみ方に差があることを対照的に強調することもあるそうで、「周」を「親しみ合う」、「比」を「なれ合う」と訳しています。この孔子の言葉がもとになって、君子の交わりは「義」で結ばれ、精進の交わりは「利」で集まり徒党を組むことになるという考えが生まれてくると、貝塚茂樹先生は解説されます。
 アリストテレスは知性的徳と倫理(習性)的徳を挙げました。倫理的徳では特に、「正義」と「友愛(親愛)」を重視しています。そして、「正義の人にもなお友愛(親愛)は必要であるが、友愛(親愛)の人にはもはや正義は必要ない。愛するに人に対して悪事を為す人はいないからである」と言っています。なるほど、正義と正義が衝突すると殺人や戦争が起こります。友愛(親愛)という、人と人とを結びつける感情の重要さが痛感されます。どこかの国が国際的な合意事項に違反したら、現在は必ずと言っていいほど制裁措置がとられます。某国の核問題も、拉致問題も、制裁を強化しても強化しても問題は一向に解決する兆しは見えてきません。日本がかつて敗戦したときにセイロン(スリランカ)が仏教精神で「恨みに報いるに恨みを以てしては恨みのやむときはなし。恨みを捨ててこそやむのである」(法句経)を引用して、賠償を請求しなかったことは有名です。制裁対報復措置という構図から抜け出して、まずは粘り強く対話のチャンスを模索して、懸案事項を冷静な話し合いによって解決していける道はないものでしょうか。昔、野田先生から「人類の精神年齢は12歳」と聞いたことがあります。今もそのことに変わりはないようで、国際情勢もまるで中学生が喧嘩をしているよです。今、ウクライナへ侵攻しているロシアの大統領は、失礼ながら、中学生並みなんでしょうか。天変地異の頻発する今、それへの対応だけでも大変です。それなのにまさか本当に戦争を始めるとは、あきれ果てます。 昔勤務した高梁工業高校の校訓を思い出しました。「自律友愛」です。哲学者カントにもとづいています。互いに独立しながら、しかも相互に友情で結ばれる。カントの『永久平和のために』に影響されて、第一次大戦後に「国際連盟」ができたにもかかわらず、第二次大戦が起こり、その後「国際連合」ができました。ところがその仕組みがヘンで、今まったく機能していないようです。現実に戦争が起きているのに、安全保障理事会では当事国が拒否権を発動して、合意が成立しない。戦争を起こして他国へ侵攻しているまさにその国自身が常任理事国で、自国に不利な決議には拒否権を発動します。犯罪者が裁判官で自分の罪を裁かないようにしているようなものです。
 ほんとの親しさは付和雷同的にベタベタくっついているのではなくて、相互尊敬・相互信頼の関係ということで、アドラー心理学の話題に戻ります。
 K先生と一緒にアドラー心理学を学ぶようになったのは、1991年のことですから、ずいぶん長いおつきあいになります。こんなに長い間、仲良くおつきあいできて、まだまだ今後も続きそうなのは、ある線以上は絶対に相手の領域に踏み込まないという遠慮があるからでしょう。ときどき「目標の不一致」が起こりそうになっても、お互いの理性できちんと調整してきました。だいたいはK先生のほうが「お・と・な」で、先に譲られて、あとで気がついた私が謝るというのが、通常のパターンです(笑)。今日はそのK先生がお世話くださって、岡工講座が開催されます。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top