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スレッドNo.259

論語でジャーナル’24

 子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。

 先生が言われた。「ものを習っているだけで自分で考えてみないと、まとまりがつかない。考えているだけでものを習わないと、疑いが出てくる。

※浩→「学ぶ」というのは読書を意味し、「思う」というのは思索を意味します。むやみに読みあさるだけで思索しなければ混乱をきたし、逆に、空な思索をするばかりで読書をしなければ独断に陥る。
 ここは、学び方のポイントを簡潔に表している有名な箇所です。ずっとあとの「衛霊公篇」に、「子曰く、吾かつて終日食らわず、終夜寝(いね)ず、以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり」とあります。これが、空虚な思索は、たとえ寝食を忘れてのものであっても、読書による経験の堆積には及ばない、ということです。
 アドラー心理学の学び方としては、野田先生からは、「読」「思」「修」の3つが必要だと教わりました。本を読んだり講演を聞いたりするのが「読」、自分で納得のいくまで考えてものにするのが「思」、それを実践するのが「修」です。それから、もう1つ、アドラー心理学はひとりでは学べない。ともに学ぶ仲間が必要だということ。多くの方々が、例えば、育児講座「パセージ」を受講されて、そのフォローアップの会などで、さらに情報交換を続けて、学びを深められています。私と相棒のK先生は、日常の何気ない会話の中で、互いのライフスタイルを再確認することがあります。エピソード分析を実際のカウンセリングで実施する機会はそんなに多くはありませんが、2人で日常の会話の中に、私的感覚のマイナス面を見出したときは、それをプラスに肯定文に替えてみるお稽古をしています。願いを肯定文にしてみるとそれが即、仮想的目標になっていることもよくわかります。おかげで少しずつ上達してきたように感じます。傲慢にならない謙虚さも必要ですが、自己勇気づけも大事だと思います。人には言わないで、自分で思うだけなら「僕ってすごい。天才!」と思い上がってもいい。自分と自分は“縦関係”にはならないから。自己嫌悪は最低で何も始まらないし、これは実は「劣等コンプレックス」で、自分から動き出さない言い訳になっているようです。
 また、アドラー心理学の育児・教育では、「子どもに選択肢を与える」ことが大切だと言われます。「学べばすなわち固(かたくな)ならず」です。選択の幅が広がるということは、すなわち「自由」が広がるということです。子どもたちにこのことをよくわかってもらいたいです。
  「知識は経験とともに始まるが、思惟がなければ盲目となる」として、経験論と合理論を統合したカントの批判哲学を思い起こさせる、と貝塚先生の解説にあります。一方的な立場を固執しないで、絶えず両面からものを眺める態度は、かつてNHKの大河ドラマ「篤姫」で、篤姫の母上が島津家の養女になっていく前に「一方を聞いて沙汰するな」と戒めていたシーンがあったのを思い出します。「独断」と「偏見」はトラブルのもとです。

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