論語でジャーナル’24
子曰く、由(ゆう)よ、汝に知ることを誨(おし)えんか、知れるを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり。
先生が言われた、「由(子路)よ、お前に知るとは何か教えてやろう。自分の知っていることは知っていると他人に言ってかまわない。自分の知らないことは、他人に知らないと答えなければならない。これが本当の知るということなのだ」。
※浩→「由」は孔子より9歳若い門弟です。姓は「仲」で字(あざな)は子路。勇士で馬鹿正直なところがあったそうです。孔子からかなり可愛がられていたことが、「由よ」と名前で呼ばれていることからもわかります。子路は正義派で勇気があったので、元気にかられて、本当に知らないことも知っていると言いかねないので、孔子はこの短所を穏やかにたしなめたのでしょう。
「知らざるを知らずとす、これ知るなり」というと、ソクラテスの「無知の知」を思い出します。「おのれの無知を知る者こそ真の知者だ」というパラドキシカルな概念です。
私も「知ったかぶり」をしないように気をつけないといけません。
紀元前5世紀のアテネにはソフィストと呼ばれる知恵者が闊歩していました。ソクラテスもその1人とも見なされるのですが、当時のソフィストは「真理は相対的」と考え、「人間が万物の尺度である」と、「善いも悪いもその人次第だ」と主張して、絶対的な真理を認めなくて、やがて道徳的に堕落する者も現れました。ソクラテスはこれを憂えて、人間の生き方として絶対的な基準を求め、「知徳合一」(正しく知ること=知は正しく行うこと=徳)の結論に達したのです。あるとき、デルフォイのアポロン神殿で神託を受けたら、「ソクラテス以上の知者はいない」という神のお告げでした。ソクラテスは「そんなことはない。自分より知恵のある人はアテネにたくさんいる」と、街をめぐって知者とおぼしき人たちと対話しました。その結果、「彼らは知ってもいないことを知っていると思い込んでいる。自分は知らないことは知らないと自覚している。つまり私は自分の無知を知っているという点で、彼らよりも賢いのだ」と悟りました。それからは多くの青年や知恵者たちと問答・対話しては彼らの無知ぶりを論破しました。こういうこともあってソクラテスは「青年を惑わした」罪で裁判にかけられます。一番弟子プラトンの『ソクラテスの弁明』には、裁判での彼の弁明の様子が詳しく描かれています。岸見一郎先生のお得意分野です。