論語でジャーナル’24
子帳、禄(ろく)を干(もと)むるを学ばんとす。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎みてその余りを言えば、則ち尤(とが)め寡(すく)なく、多く見て殆(うたが)わしきを闕き、慎みてその余りを行えば、則ち悔い寡し、言に尤め寡なく、行(こう)に悔い寡なければ禄はその中にあり。
子帳が俸給にありつける方法をたずねた。先生が言われた。
「できるだけたくさん聞いて疑わしいものを省き、残ったところを慎重に言葉少なく話していると、行動の誤りが滅多になくなる。できるだけ多くの本を読み、あやふやなところを省いて、残ったところを慎重に行動すると後悔することはないであろう。そうすれば官職のほうから自然にやって来るものだ」。
※浩→子帳は姓は顓孫(せんそん)、名は師、字(あざな)は子帳、孔子より48歳年下の門弟です。門弟たちが最も関心を持つ就職運動についてたずねたのでしょう。今ですと、「就活への心得」でしょう。子帳は、押し出しが堂々としていて、議論は達者で、難しい仕事にも取り組むやり手でしたが、誠意に足りないところがあったそうで、孔子は、もう少し慎重にしたらよかろうと暗示したと考えられます。言行を慎重にすると、郷里での名声が高まるので、自然に中央に推薦される道が開けるということでしょう。
吉川幸次郎先生の解説では、「疑わしいものを省き」「あやふやなところを省いて」のところを、「納得のいかない、疑わしい事柄は、将来の問題としてしばらくそのままにしておく」「あやふやなものは残しておき」となっています。不明なことをあくまで追求しようとすると、そのことにとらわれて大局を見失うことにもなりそうです。とりあえず細部は棚上げして、大づかみに全体をとらえて先へ進める。そして、疑問点はどこか心の片隅に「?マーク」を付けたまま暮らしていれば、何かのきっかけで「ガーン、あれはこういうことだったのか」と悟る日もあろうかと思います。アドレリアンには、忘れたことは重要でなく、覚えていることが重要なのです。忘れたことは、自分にとって大して重要でなかったのでしょう。そういえば、忘れえぬことはしょちゅう思い出しますね。「未練」なのでしょう。戦後間もなく大ヒットしたNHKの連続ラジオドラマ「君の名は」では毎回冒頭に、「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の哀しさよ」というのがありました。失恋でもしたら、しばらくは寝ても覚めても別れた相手のことばかり思い出すでしょう。野田先生は、「記憶力がいいと言うのは物事を美しく言っていて、ほんとはしつこいということです。イヤなことを言われたりするとずっと覚えている」とおっしゃいました。一方で、「バカなことをしたら笑いなさい。だってバカなことなんだから」とか「取り返しのつかないことをしたら忘れなさい。だって取り返しがつかないんだから」ともおっしゃいました。こういう楽観主義のほうが、いつまでもクヨクヨしてじっと留まっているよりも、次の一歩を踏み出しやすいです。楽観主義は楽天主義ではありません。「棚からぼた餅」というけれど、「棚の下までは行かないと」と自分に落ちてきません。私は来年、運転免許更新のための「認知機能検査」に行きます。もう4回目になります。16枚の絵を見て覚えておいて、一旦他の作業をしたのち思い出すというテストがありますが、これまではほぼ満点でした。今度はどうなるか、満点は無理かもしれませんが、まさか認知症に近づいてはいないと思います。