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スレッドNo.273

論語でジャーナル’24

 子曰く、人にして信なければ、その可なるを知らざるなり。大車輗(げい=くびき)なく、小車軏(げつ=くびき)なくんば、それ何を以てかこれを行(や)らんや。

 先生が言われた。「人間の身でありながら、その言葉が信用できないと、いったい何の用に立つのか皆目わからない。大車(牛車)に輗(げい=くびき)、小車(馬車)に軏(げつ=くびき)がなかったら、どうして牛馬の首を抑えて車を走らせることができようか。

※浩→「信」、つまり「その言語が信頼できる」ということは、人間の人格を成立させる基本である、と吉川幸次郎先生は解読されます。言語が信頼できない人間は、いかに才能があってもその人格は崩れざるをえない。牛車や馬車の「くびき」がなければ、進めないのと同じように、「信」がない人間の生活も進行しえないと。
 営業担当の人は外向的で、口八丁手八丁の人が向いているように思われているようですが、案外そうでもなさそうです。一見無口で朴訥そうな人が、かえって顧客の厚い信頼を得て成績を伸ばしていることもあるようです。私が在職中に、職場に若い洋服屋さんが出入りしていました。スーツ生地の見本を持参して、職員室で手の空いた職員と世間話をしていました。いきなり見本ファイルを開いたりしません。あちこちで根気良く職員の話に耳を傾けていて、そろそろ帰り際になって、「あ、先生、今度いいのが出ました。ちょっとご覧いただけますか?」と広げます。「では仕立てましょう」といきなり言う人はいませんが、こういうやりとりを何度か繰り返しているうちに、そのうち注文を取れるようなことがしばしばありました。私は初めは例によって無愛想に、「この人、よくまあ根気良く来るねえ」と相手にしていませんでしたが、いつの間にか世間話をするようになって、そのうちスーツを仕立てるようになりました。イージーオーダーでしたが、仕立て具合が良くて、定年退職まで私の背広づくりは一切その洋服屋さんにお任せしました。
 もっと前にも似たことがあります。西大寺に住んでいたころ、わが家ではテレビはまだ白黒でした。ほとんどの家庭にカラーテレビが普及したあとも、母が「テレビは白黒でいい」と言うので、ずっと重厚なコンソール型(今はこんな分厚いテレビはない)の白黒テレビでした。あるとき寿命が来たのか突然映らなくなりました。近所の電気屋さんに電話すると、先代の店長さんが見えました。もういいお年でしたが、年期の入った誠実な「あきんど」という感じの彼は、注文どおり黙々と白黒テレビを修理して映るようにしてくれて、帰りがけに、「先生、ちょとこれを見てごらん」と白黒テレビからアンテナをひょいと外して、いつの間に出したのか14インチほどのカラーテレビにつなぎました。ちょうどNHKのドラマをやったいるのが映りました。当時まだ若かった島田陽子さんが主演の「花車」というドラマでした。その画面のきめ細かな美しさに母と私は見入ってしまい、「買います」と即答。今修理したばかりの白黒テレビは下取りで持って帰ってもらいました。1980年ころのわが家の出来事です。
 「里見八犬伝」でも仁義礼智忠信孝悌の中に「信」が含まれています。犬士は「犬塚信乃」でしたか。「八犬伝」は普通の歌舞伎にもありますが、三代目猿之助(二代目猿翁)のスーパー歌舞伎「八犬伝」が面白かったです。その猿翁さんも亡くなられたので、近々観ることにします。
 「信」は人名で、「まこと」と読まれます。私が新卒で務めた井原市立高校の二代目の教頭さんが、「三宅信(まこと)」先生でした。校長さんが、新任のお若い浜田謙一郎先生で、三宅教頭のほうがベテランなので、年下の校長をしっかりサポートされていました。温厚な方で恰幅もすぐれていて、俳優で言えば、佐分利信さんのようでした。佐分利信さんの「信」は、「まこと」でなく「しん」ですが、日本人は、「まこと」という語が大好きです。

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