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スレッドNo.281

論語でジャーナル’24

 三家(さんか)者雍(よう)を以(もっ)て徹す。子曰く、相(たす)くるはこれ辟公(へきこう)、天子穆穆(ぼくぼく)と。奚(なん)ぞ三家の堂に取らん。

 魯の家老三家(つまり周から言えば陪臣:季孫氏、仲孫氏、叔孫氏)の家では、祭祀ののあと、お供え物を撤(さ)げるときに、天子の祭りの歌である『詩経・雍篇』を演奏させていた。これも秩序の破壊である。孔子は言われた。「歌の文句をよく聞くがいい。『相(たす)くるはこれ辟公(へきこう)、天子穆穆(ぼくぼく)と』と。ご法事の手伝いとして集まったのは、第一流の大名たち。これは明らかに天子の歌である。そのどの点が、陪臣である三軒の家老の家の堂(ざしき)にふさわしいものとして取り上げられるか。バカな。

※浩→この『雍篇』には、天子の祭りに諸侯が参列している様を歌っている文句が出てきます。それを陪臣の身でよくも平気で演奏させている!と、孔子は辛辣な皮肉を飛ばしている。
 天子のための歌を、家老の家の儀式に使ったのは立場をわきまえない不遜なふるまいですから、「君臣の序」を重んじる孔子が激怒するのはわかります。これほど、「下克上」の風潮が蔓延していたことを表しているようです。『三国志』では、漢の幼帝をとりまく宦官(かんがん)たちが専制を極めていました。いつの世も、こういう無秩序な現象が起こるのですね。人の世の常でしょうか。人気ドラマ「相棒」を見ていると、警察幹部の陰謀とも言える悪事がよく描かれています。それを組織に屈しない杉下右京たちが徹底的に解明していくというお話ですが、よく「あと一息」というところでENDとなります。これは制作者が国家権力に遠慮しているためでしょうか?観ている側に何か煮え切らない思いが残ります。そういえば野田先生は「国家という暴力組織」という表現をされていたことがあります。「社会福祉国家」なんてただの幻想でしょうか。私たちはそうであるかのように勘違いして暮らしているのでしょうか?自民党と立憲民主党の総裁・代表選挙が迫っています。ただ馬鹿騒ぎしているようで、いち国民としてピンときません。

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