論語でジャーナル’24
林放(りんぽう)、礼の本(もと)を問う。子曰く、大なるかな問いや。礼は其の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ倹(つつまし)やかにせよ。喪は其の易(おろそ)かならんよりは寧ろ戚(いたまし)くせよ。
(魯の人)林放が礼の根本を問うた。先生が言われた。「その問いは大きなものである。礼は物事を贅沢にして驕るのではなく、質素にして倹約せよ。喪(葬式)は滞りなく淡々と行うのではなく、(多少整っていない部分があっても)哀悼の感情を捧げるようにせよ」。
※浩→孔子が魯の林放に礼の根本について語ったものです。礼の本質は、華美や贅沢ではなく慎ましやかな謙譲と倹約にあり、葬式(喪)の本質は、準備万端整えたスムーズな葬式にあるのではなく、故人を静かに忍び本心からの悲哀の念を捧げることにあるとした。まさに、「巧言令色鮮(すくな)し仁」です。
吉川幸次郎先生によれば、「われわれならば、『難しい質問だ』というところであろう」とあります。礼は無理な贅沢をするよりむしろ倹(つつまし)やかであれ。喪(そう=近親者の死をいたむ)礼では、細々と気を配るよりは哀傷を第一とせよ、ということです。華美にならずつつましく、細々した形式よりも心からの哀悼を、と言っていて、これは現代のさまざまな「儀式」においても、かくありたいものです。この前の東京オリンピックの開会式&閉会式は、秒刻みのこまやかな手順で進められ、選手の服装から所作ふるまいの細部にわたり演出がなされたようです。アメリカなら、特に「閉会式」では、選手たちがブラブラとざっくばらんに入場して、フィナーレを惜しんでいる様子をかつて見たことがあります。文化の違いとはいえ、対照的です。ところで最近の結婚式はどうでしょうか?食べきれないお料理を捨てたりしているのでしょうか。