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スレッドNo.295

論語でジャーナル’24

 子曰く、夏礼(かれい)は吾(われ)能(よ)くこれを言えども、杞(き)は徴(しるし)とするに足らざるなり。殷礼は吾能くこれを言えども、宋は徴とするに足らざるなり。文献、足らざるが故なり。足らば則ち吾能くこれを徴とせん。

 先生がこうおっしゃった。「夏王朝の礼制(制度)を私は十分に説明することができるが、夏王朝の子孫である杞の国には(自説を証明するための)夏の礼制の証拠が足りない。殷王朝の礼制を私は十分に説明することができるが、殷王朝の子孫である宋の国には(自説を証明するための)殷の礼制の証拠が足りない。なぜなら、杞の国と宋の国には(過去の制度を知るための)史料文献と博学な賢人が残っていないからである。それらが十分であれば、私の礼制にまつわる自説の証拠とできるのだが」。

※浩→現在の河南省にある「杞」は、夏王朝の後裔が封ぜられた国で、「宋」は殷王朝の後裔が封ぜられた国です。夏(前23~18世紀)は孔子の時代の周より2つ前の王朝で、聖王・禹によって創設されました。殷(前18~12世紀)は周のすぐ前の王朝で、聖王・湯(とう)によって創設されました。
 「徴(しるし)」は、孔子の礼にまつわる自説を実証する「根拠・証拠」という意味です。「文献」の語源がここにあります。現代では一つの単語ですが、古代中国では「文」は木簡や竹簡に書かれた史料文献を、「献」はその土地に住む古老など物知りな賢者のことを意味していました。
 孔子は夏・殷王朝の礼、つまり制度などは周の制度からさかのぼって類推することができると考えましたが、それらの子孫の国には史料が保存されていないし、学者もいないために、理論を実証することができないことを嘆いています。孔子はこの点で、今の歴史学者のように、確かな史料による実証がないと、礼も理論倒れになることを知っていたのです。孔子の学問の態度が、「実証」を尊重していることがよくわかります。根拠のない理屈は妄想に近いです。ますます増加傾向の「特殊詐欺」の被害者は、根拠もなく犯人の言葉を信じて、騙されています。16~17世紀のイギリスの哲学者・フランシス・ベーコンは「4つのイドラ」といって人が陥りやすい偏見を述べています。
 1.種族のイドラ…例:朝日や夕日の直径は南中時の太陽の直径より大きい
 (=実際には同じ。ただの目の錯覚。)
 2.洞窟のイドラ…例:日本食こそ世界で最も美味しい料理である
 (=食べたことがないだけで、世界にはもっと美味しい料理があるかもしれない。)
 3.市場のイドラ…例:新しい担任の先生はとても生徒に厳しい
 (=とクラスの友人が噂しているのを確認もせずそのまま信じている。)
 4.劇場のイドラの…例:人気キャスター曰く、「某アイドルの衆議院選挙立候補は国民的な関心事だ」。
 (=と影響力のある人からテレビで連日言われれば信じてしまう。)
 というように、人間には偏見や思い込みによる事実誤認がしばしば起こるので、絶えず帰納法(=実例を一つ一つ拾い集めて真理を追求するやり方)を用いて事実かどうか丹念に検証していく必要がある。
「イドラ」は英語のidolです。日本語で「アイドル」というとまったく別の意味になりますが、もともと「偶像」という意味から「偏見」「思い込み」という意味になったのすから、アイドルは「作為的にでっちあげられた幻影」なんです。これに浮かれているファンはある意味気の毒かもしれませんが、人のことは言えません。

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