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スレッドNo.309

論語でジャーナル’24

 古注:子曰く、射は皮を主とせず。力を為すこと科(しな)同じからず。古の道なり。

 先生がおっしゃった。「礼の儀式である弓試合では、皮(=まと)に命中することばかりが脳ではなく、競技の態度が立派でなければならない。つまり、勝つことでなく、出場することでなければならない。また、力仕事の奉仕をする場合、体力の差異に応じて、違った仕事を課せられ、同一種類の仕事をしない。この2つのことはいずれも「いにしえの道」である」。

 新注:子曰く、射(しゃ)は皮を主とせず。力の科(しな)を同じくせざるが為(ため)なり。古(いにしえ)の道なり。

 先生(孔子)がおっしゃった。「射礼(弓道)は、皮の的(まと)を射抜くことを第一としない。射る人の生来の能力には等級があり同じではないからだ。これが古代の聖王の実践した道(やり方)である」。

※浩→私は弓道はまったくの門外漢で、弓道に関しては一言のコメントもありません。K先生の津山工業時代、相談室の同僚・N先生が弓道部の顧問でした。2022年にすぐお隣の学校へ異動されましたが、津山工業の弓道部はとても強かったです。そういえば、映画「時を賭ける少女」の主人公(原田知世さん)は弓道部でした。お仲間とよく、「桃栗三年柿八年、ゆずは九年で成り下がり、梨のおバカは十八年」と歌っていました。そのあと、「ミカンの間抜けは二十年」と続くことは最近知りました。昔の大作映画「大菩薩峠」(東映版)の第三部では、準主役の宇津木兵馬(中村錦之助さん)が甲府勤番支配・駒井能登之守(東千代之介さん)の保護のもと、流鏑馬(やぶさめ)に出場して優勝するシーンがありました。武士の社会では、格式高い重要な競技会だったようです。今は古武道といえば、お相撲が最もポピュラーですが、流鏑馬のような日本古来の武道も末永く存続してほしいです。

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