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スレッドNo.322

論語でジャーナル’24

 子、魯の大師に楽を語りて曰く、楽は其れ知るべきなり。始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり、以て成(おわ)る。

 魯の音楽団の楽長と音楽について論ぜられたとき、先生が言われた。「音楽の仕組みはだいたいわかります。最初に、(金属の打楽器である)鐘が高らかに響き渡り、次いで(諸楽器の)合奏がなごやかに流れ、さらに管弦楽器の各パートが別々にはっきりと旋律を奏で、最後に心地良い余韻を長く残しながら終わるのですね」。

※浩→社会秩序や民心の安定に役立つものとして、礼節を伴う音楽をこよなく愛した孔子が、魯の音楽団の楽長に対して音楽を語った部分です。「翕如(きゅうじょ)」とは、勢いよく盛大に鐘のような打楽器が鳴り響く様子である。「鐘」からリストの「ラ・カンパネッラ」を連想しましたが、これはピアノ曲です。『パガニーニによる超絶技巧練習曲』を改訂した『パガニーニによる大練習曲』の第3曲で、嬰ト短調です。飛躍してしまいました(笑)。
 次の「純如(じゅんじょ)」は、管弦楽のいろいろな楽器が、静かに調和を保って鳴り響く様子です。協奏曲だと、独奏楽器に絡むオーケストラの部分でしょうか。「皦如(きょうじょ)」とは、管弦楽のそれぞれの楽器が独奏のようにはっきり聞こえる様子です。これも協奏曲だと、各楽章の終盤の独奏楽器のソロ(カデンツァ)でしょう。「繹如(えきじょ)」とは、長い余韻を残しながら音楽が流れている情緒的な状況である。最終楽章のフィナーレが演奏され終わった後に残る余韻は、やはり生演奏でないと味わえません。
 野田先生も音楽好きですが、かく言う私も大の音楽好きです。ただ自分の場合は、レパートリーがめちゃくちゃ広く、そのためにどの分野も深みはないです。「かじる」程度と言えます。クラシックから、ポピュラー音楽(特にイージーリスニングのインストゥルメンタル)、日本の歌謡曲(演歌)、邦楽(特に歌舞伎由来の長唄&端唄)、コンチネンタルタンゴ、アルゼンチンタンゴ、一時はイタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソンと、何でもござれでした。端唄に関しては、何曲が自分で唄えます。大学を出たころ、美空ひばりさんの「縁かいな」と「さのさ」をレコードで聞いて感動して、何度も何度も聞き直して覚えました。よく忘年会などで披露させていただいて、けっこう好評でした(笑)。あとは、市丸さんの「槍さび」が絶品です。中に「黒田節」が挿入されています。それから、艶っぽい「鬢(びん)のほつれ」とか、「都々逸」を何曲がレパートリーに持っています。退職してからは、お座敷の宴会に出ることがなくなって、いつしか唄うチャンスを失ってしまいました。今は、ときどき台所で洗い物をしながら、一節口ずさんでいるくらいです。隣家の人がびっくりするでしょう(笑)。生演奏を聴く機会も、在職中にはありました。最高の体験は、いつだったか、岡山市民会館に「イ・ムジチ合奏団」が来演したとき、聴きに行きました。おなじみの『四季』に感動しました。CDで聴くのと較べようがないです。中村紘子さんが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏されたときも、聴きに行きました。珍しいところでは、大阪の厚生年金会館の大ホールで、東音会の長唄演奏会にも行きました。岡山にはシンフォニーホールという立派な施設があるのに、そこへはどういうわけか、いまだに行っていません。岡山市には昨年秋、旧市民会館と市民文化ホールを合体させた岡山芸術創造劇場(ハレノア)ができました。大中小と3つの劇場を持つ大規模な劇場ですが、その大劇場に回り舞台も花道もないようで、歌舞伎好きの私にはこれが不満です。で結局、観劇は大阪や京都へ行くでしょう。

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