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スレッドNo.326

論語でジャーナル’24

 子、韶(しょう)を謂(い)わく、美を尽くし、又た善を尽くせり。武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽くさず。

 先生が、伝説の聖王・舜(しゅん)の制作した楽曲である韶(しょう)を評して言われた。「美的に完全であるばかりでなく、道徳的にも完全である」。また、周の武王が作った楽曲である武を評して言われた。「美的に完全であるが、道徳的には完全と言えない」。

※浩→古代の聖王の系譜は、堯・舜・禹と続きますが、舜は堯と戦火を交えることなく禅譲によって帝位を譲られたので、舜の作った音楽は「善と美」が完全に調和している。一方、周の武王は殷周革命で武力を用いて、殷(商)の紂王を放伐して帝位を奪取したので、武王の作った音楽は「美的」ではあっても、「道義における正しさ(善)」において舜の音楽よりも劣っているということです。
 音楽においての「美」は理解できますが、「善」とはどういうことでしょうか?「真善美」と関係あるのでしょうか。「不道徳な音楽」ってあるのでしょうか?日本では、かつて性風俗に混乱をきたすおそれのある音楽が、放送禁止になったことがあります。今では当時よりもっともっと過激なのが堂々と放送も販売もされています。性道徳観も時代とともに変化しています。「性的マイノリティー即性的異常」と考えられなくなったことは時代の進歩です。昔、島和彦さんが歌う「悦楽のブルース」が放送禁止になりました。レコードは大丈夫だったので、私は購入しました。聴いてみて、まったくエッチだとは感じなかったのに、放送禁止になったのが不思議です。そう思ってネットを開くと、同意見の人のコメントがありました。大島渚監督の映画「悦楽」の主題歌だから放送禁止だとか。まったく納得いきません。歌詞を覚えていますよ。
 →泣いちゃ泣いちゃ泣いちゃ泣いちゃいないわ カクテルの青い青い青い青いグラスが 目に浮かぶ 甘い甘いとつい酔って 醒めりゃ心がほろにがい
 ね、どこもエッチじゃないでしょう。B面は「志津子」という曲でした。わが妹も「しづこ」ですが、「字」が違います。個人情報なので書きません(笑)。
 なぎら健壱さんの「悲惨な戦い」はレコードが放送禁止になりました。歌詞の内容は、国技館からテレビ中継していた大相撲の取り組み中に力士の廻しが落ちる(不浄負け)という、架空のハプニングの顛末を語ったコミカルなものでしたが、日本相撲協会のクレームもあったとされ、放送禁止の扱いになったとされます。ただし、1999年にフジテレビの『NONFIX』で放送されたドキュメンタリー『放送禁止歌』でのインタビューで、なぎらさんは、レコーディング中も多少の不安はあったが予想外にヒットしてスケジュールも決まっている矢先に放送禁止に指定されましたが、実際には相撲協会からのクレームはなく、その前に民放連が自主規制したとみられますと話し、結局言葉に罪はなく使う人の意識問題だということになったそうです。やれやれ。私は当時、備前高校のボート部員の顧問をしていて、部員からレコードを貸してもらえて、ばっちり聴けました。
 現代の一部の音楽はただやかましいだけで、特にテンポが無茶苦茶速く、歌詞などほとんど聴き取れなくて、メロディーに至るとなきに等しいものが氾濫しています。人々の豊かな情操を育むことなど想定外なんでしょう。そして、一時流行してもすぐに次のブームが到来して忘れ去られています。クラシックの名曲は同じ曲でも何度聞いても感動します。あの魅力は何なんでしょう。

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