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スレッドNo.351

論語でジャーナル’24

 子曰く、君子徳を懐(おも)い、小人土(ど)を懐い、君子刑を懐い、小人恵を懐う。

 先生が言われた。「支配者である君子は道徳の世界を忘れない。庶民である小人は生まれ故郷を忘れない。支配者である君子は法の制裁を忘れない。庶民である小人は主君の恩恵を忘れない。

※浩→「懐(おも)う」は、「忘れがたいほど思念する」というのがもとの意味だそうです。荻生徂徠は別の解釈をしています。君子が道徳を心がければ、その結果として、支配下の小人は土地に安住する。それに対して悪い政治では、君子が刑罰を心がける。そうすると、その結果として、支配下の小人は、偶然の恩恵ばかりを心がける。つまり、「君子徳を懐えば、小人は土を懐い、君子刑を懐えば、小人は恵を懐う」と読みました。面白いことに、吉川幸次郎先生生は、徂徠の説をとり、貝塚茂樹先生は古来の解釈を採用されました。貝塚先生は、君子が道徳の世界に惹かれるということは、故郷を去ってどしどし有徳の君主や大臣のもとに仕えねばならないことだと考えられました。『論語』「憲問篇」に、「士にして居を懐(おも)うは、もって士となすに足らず」とあって、故郷に惹かれ、そこから出られないのは、小人すなわち一般の庶民のことで、士たるもののなすべきことではないというのが、孔子の時代の通念であると、今回ここで採用した解釈を支持されました。
 私はどちらの説も納得できます。私は自分の出生県内に奉職して定年まで勤め、退職後も、生まれ故郷そのものではないまでも、地元県で余生を送っています。学友の故・行司伸吾君は、地元の岡山大学を出て、静岡県に奉職し、そちらで結婚し、浜松市に自宅を建てて永住しました。新卒で奉職した静岡県の三ヶ日高校にボート部を創設し、他校へ転勤するとそこにもボート部を作るといった具合に、静岡県のボート競技普及発展に献身されました。退職後の2005年には、故郷の岡山国体のボート競技を仕切って、その大役を終えるとあっさり他界してしまいました。私は、高校時代=演劇~大学時代=ボート~在職中=アドラーと舞台を次々転換していったのに対して、彼はボート一筋の人生でした。愛媛が舞台の映画「がんばっていきまっしょい」は高校ボート部を描いた映画でしたが、彼はこの映画のボートの専任指導者としてその名がラストのテロップに載っていました。わが隣家のご主人は行司君のお兄さんのお友だちだということがあるときわかって、それ以来隣家とも行司君の話題でつながっていました。今や隣家のご主人も他界されて、とても寂しい思いをしています。それにしても60歳台で他界するとは早すぎます。私は、来月83歳を生きています。アドラー心理学の相棒。K先生は、鹿児島出身ですが、岡山市内の大学を出て岡山工業高校に奉職され、備前、倉工、津山工業高校を経て今春また岡山工業に戻ってこられました。関連して、講座が31年ぶりに出発点の岡工に戻ってきました。不思議な縁を感じます。

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