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スレッドNo.353

論語でジャーナル’24

子曰く、利に放(よ)りて行なえば、怨み多し。

 先生が言われた。「利益本位で行動すると、怨みを招くことが多い。

※浩→簡潔な文で、このことに関してはこれ以上の解説は必要ないでしょう。己れの利益だけ考えて行動すれば、「人は人に対して狼」になり、社会は「万人の万人に対する闘争」となります。そこでホッブズは『社会契約論』で、各自の権利(自然権)を絶対君主に委譲するアイディアを出しました。社会契約論はホッブズのあとロック~ルソーへと受け継がれます。哲学ではカントが、定言命法で「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原則として妥当しうるように行為せよ」と、道徳法則を示しました。功利主義のベンサムは、私利の追求がそのまま公利を実現するから、“最大多数の最大幸福”を目ざせと唱えました。続いてミルは、善悪の基準を快楽と苦痛に求めるベンサムの功利主義を継承しながらも、量的な快楽計算を批判し、快楽の質的な差を認め、人間の尊厳やや品位の感覚にふさわしい質の商い幸福を追求する質的功利主義を説きました。有名なフレーズ「満足している豚よりも、不満足な人間のほうがよく、満足している愚者より不満足なソクラテスのほうがよい」はこれです。また、人間の利他的な心情や同情心を重んじ、人類社会の向上のために尽くして利他的感情を満たすところに幸福を求める、理想主義的・人格主義的な功利主義を唱えました。道徳的義務に背いて同胞である人類を裏切る行為には、良心から生まれる苦痛が内的制裁を与えます。ミルは、各人の個性の自由な発展が、社会全体の進歩につながると考え、思想・言論・良心などの精神的自由の必然性を強調しました。だんだんアドラーに近づいてくるようです。ミルの言う「利他的感情」は「共同体感覚」を連想させます。1930年ころにアドラーが願った共同体感覚の普及のために、私たちは「小さな小さな」灯火をともし続けていかないといけないのですが、現状からはとても危ぶまれます。世界中、自己中蔓延です。紛争地域でせっかく停戦協議が成立したにもかかわらず、攻撃をやめない国が現実に存在します。またその国を国連も何ともできないし、大国が支援しているというのですから、まったく彼らには人間としての良心がないのでしょうか?リオタールの言う「大きな物語の崩壊」と関係があるのでしょうか?(つづく)

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