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スレッドNo.364

論語でジャーナル’24

 子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。

 先生が言われた。「立派な人間は義務に目ざめる。つまらぬ人間は利益に目がくらむ」

※浩→「義は誼(ぎ)なり」で、義は人間の従うべきもの、正しい道理・筋道のことですが、「利」に対して使うときは「義務」のことだそうです。
 『孟子』の冒頭を思い出します。「なんぞ必ずしも利をいわん。ただ仁義あるのみ」。天下の覇権を狙う王をたしなめた力強い言葉です。
 世間では「権利と義務」と言いますが、アドラー心理学では「権利と責任」と言います。「義務」と言うと権力に強要される感じがしますが、「責任」と言うと自らの意志による決断が感じられます。君子は常に「自己責任」を自覚していて、小人は責任よりも自分が得るもの(利益)に関心があります。人は哺乳類の中では、鋭い牙もなく、俊足の足も持たず、鋭敏な嗅覚も聴覚もなく、生物としては弱い存在です。ですから、他者と協力しないと生きていけないという、生物的宿命があります。人々の協力によって作られたさまざまな文化装置によって人は守られています。小さな悪事も、凶悪な事件も、このことを忘れているから起きるのではないでしょうか。「勇気づけの歌」のトップには「人は1人で生きてはいけない。社会があってはじめて生きる。人の行為の目的は、社会に所属できるため」「人に役立ち所属する道、人の邪魔して所属する道、どちらの道も選べるが、勇気があれば役に立つ道」とあります。勇気ある人は自己責任を果たし、勇気をくじかれた人は、人を蹴落としてでも自分の利益に固執するのでしょう。
 パスカルの『パンセ』で最も有名な箇所。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼をころすのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼をころすものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある」。

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