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スレッドNo.387

論語でジャーナル’25

 子曰く、徳は孤ならず、必ず鄰(隣)りあり。

 先生が言われた。「道徳を守る者は孤立しているように見えるが、決してそうではない。きっと良き理解者の隣人が現れるものだ」。

※浩→道徳者として孤高の道を行きながら、方々で自然に良き理解者を獲得した孔子の体験を述べたのであろうと、『世界の名著』の解説にあります。
 私がアドラー心理学に出会ったのは、1991年の1月でした。岡山工業高校で化学工学科3年生の「現代社会」の授業で心理学のパートをやっているとき、そのクラスの女生徒が「先生も心理学をされるんですね。私のお母さんがアドラー心理学というのをやっている。本とか講演テープとかあるから貸してあげようか」と言ってくれたので、お願いすると、早速、野田先生の『僕たちのアドラー心理学入門』という広島のグループが出版した小冊子や野田先生の講演記録のテープを数本貸してくれました。これを読み、聞いて、即、アドラー心理学に惹きつけられました。それから、そのお母さんのグループが毎月岡山市内で開催されていた野田先生の公開カウンセリングを見学に行きました。ちょうどその年の4月から県教育センターの非常勤相談員の仕事が決まっていて、グッドタイミングでした。野田先生のナマのカウンセリングを毎月見学できました。これがセンターでの自分のカウンセリングにどれだけ役立ったかしれません。そうしているうちに、私の変化にまず現在の相棒・児玉先生が目をつけられました。職員朝礼のとき彼は私の斜め前の席でしたから、それまで終始むっつり構えていた私が、公開カウンセリングを見学するようになってから、どんどん穏やかになってくつろいでいく私の姿に注目されたのでしょう。「先生、どうされたんですか?」「実はね──」と公開カウンセリングのことを教えてあげました。彼はいわゆる体育会系でしたが、それまでのスパルタ式の生徒指導に疲れぎみだったようで、すぐに飛びつかれました。それから現在まで34年にわたって、共にアドラー心理学を学び実践してきました。2人が活動していて、これまで多くの方々との出会い(と別れ)がありました。
 1993年9月から、岡山工業高校内で小さな公開講座を開催して、定年退職の2002年までは校内で、退職後は学校の近所にあった「生涯学習センター」を経て「京山公民館」へと会場を移し、その間、香川県や愛媛県などでも活動しました。京山公民館は、2009年3月に一旦閉講しました。しばらくお休みして、2010年9月から、児玉先生の勤務校・倉敷工業高校で復活し、その後2018年からは先生が津山工業高校へ転勤されたので、講座もそちらへ移動して2024年3月まで続きました。津山がこれまでと違うのは、お客様がこの学校の先生方だけということです。先生方が学ばれることで、生徒が変わり、同僚が変わり、保護者が変わっていき、どちらかというと、それまである意味で指導困難だったかもしれない学校が、徐々に落ち着いた、授業がきちんと成り立つ学校に変貌していったようです。そして、その4月に児玉先生は、古巣の岡山工業高校に再転勤されました。で、講座も23年ぶりに古巣へ戻りました。参加されるのは、津山工業高校の特にご熱心な先生とかつて岡工や倉工の講座に参加されていた懐かしいメンバーさんで会場の岡工からはありがたいことに管理職さんご夫婦が毎回参加されます。他の先生はほとんどお見えになりません。学校が落ち着いていて、生徒指導にほとんど困難を感じることがないためかもしれません。「徳は孤ならず、必ず鄰(隣)りあり」、しみじみ納得します。

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