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スレッドNo.397

論語でジャーナル’25

4,子貢、問うて曰く、賜(し)や何如(いかん)。子曰く、汝(なんじ)は器(うつわ)なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚璉(これん)なり。

 子貢が先生(孔子)にたずねた。「わたくし(賜)はいかがでしょう?」。先生は言われた。「お前は器である」。子貢が言った。「何の器でしょうか?」。先生が言われた。「宗廟のお供えを盛り付ける瑚璉(これん)の器だよ」。

※浩→「賜」は子貢の実名です。先生に対して実名を言ったので「わたくし」と訳しています。「子賤こそ君子だ」と孔子がほめたので、子貢が先生に「自分はどのような存在か?」と自分の評価について問いかけているのです。孔子は「お前は、先祖をお祭りする宗廟の瑚璉のような器だ」と言いました。「為政篇」で「君子は器ならず」と言っていますから、子貢は自分は君子でないと言われたと思ったのでしょうか、さらに「何の器か?」とたずねたのでしょう。孔子は、自信家で自己過信の傾向のあった子貢をやや戒める気持ちを持って「汝は器なり」と言ったのでしょうが、孔子は才気抜群の優秀な子貢の実力を十分に認めていたので、「器は器でも、最高級の瑚璉の器だ」と子貢を評価しました。瑚璉は宗廟のお祭りのお供えに、黍稷(しょしょく:きびと高梁=こうりゃん)の飯を盛る器です。吉川幸次郎先生の解説によれば、『易』に「形あるものをばすなわち器と謂う。形より上なるものはこれを道と謂い、形より下なるものはこれを器と謂う」とあります。器とは目に見えない道理の具現として、目に見える形を持ったものである。また『易』には、「弓矢なるものは器なり、これを射る者は人なり、君子は器を身に蔵し、時をもって動く」ともあるそうです。そうそう、「形而上学」という言葉はここから出たのでしょう。案の定、ネットにありました。↓
 英語metaphysicsなどの訳。この訳語は《易経》の〈形而上を道と謂う〉の語にもとづき,《哲学字彙》(1881年)以来のもの。原語はアリストテレスの講義草稿を整理する際,編者のアンドロニコスが,自然学(フュシカ)の後に(メタ)無題の草稿を置いて,〈自然学の後に置かれた諸講義案(タ・メタ・タ・フュシカ)〉と呼んだことに由来する。第二哲学たる自然学に先立つ原理学としての第一哲学,神学のこと。最も基本的には,経験において与えられる具体的・個別的なものを超越して,全体的・究極的・絶対的にみる哲学の部門をいう。17世紀にウォルフが哲学を形而上学(理論)と実践哲学(実践)に分けて以来,カント,ヘーゲル,ニーチェ,ヤスパース,ハイデッガー,ベルグソンらによって批判を含む多様な展開が図られたが,一方で実証主義,マルクス主義,論理実証主義,プラグマティズムなど反形而上学を標榜する思潮もあって帰趨は定めがたい。(引用、以上)
 孔子は子貢の才能は十分認めていたのですが、子貢の人柄が貴族らしい温雅な人間である君子のイメージとは遠いと考えていたのでしょう。かつて、野田先生に認められたい一心で、自分のカウンセリングのケースをせっせと「事例検討会」に運んでいた自分と似ているようにも思えます。

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