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スレッドNo.402

論語でジャーナル’25

6,子、漆雕開(しつちょうかい)をして仕(つか)えしむ。対(こた)えて曰く、吾は斯(これ)をこれ未だ信ずること能わず。子説(よろこ)ぶ。

 先生が漆雕開(しつちょうかい)を仕官させようとした。漆雕開は答えて言った。「私は、仕官に未だ自信が持てません」。先生はこれを聞いて喜ばれた。

※浩→漆雕開は漆雕が姓で開が名です。本来の名は「啓」だそうですが、これは漢の啓帝の実名であったため、尊者の名を敬避する風習から、同じ意味の「開」に改めたと言われます。孔子より十二歳年少の弟子です。その漆雕開を官吏に推薦したとき、漆雕開は官吏になるのにまだ十分な人徳と実力を蓄えていない(仁を実現する優秀な官吏になる自信がない)ということでこれを辞去しました。孔子は、その謙虚さと理想の高さを聞いて満足し、仁者としての門弟の予想以上の成長ぶりを喜ばれたのです。
 吉川幸次郎先生は、「自信がない」のを、自分の学問なり道徳に対する自信ではなくて、官吏になること自体に自信がないと読まれました。公務員になりたい人はいつの世にも多いですが、その責任の重さを思えば、良心のある人は躊躇するのが当たり前であると。古代中国ではこんなにも「謙虚さ」が重視されていたのでしょう。というか孔子が謙虚さを好んだのでしょう。今の世の中は「傲慢さ蔓延」ですから、羨ましいです。
 私も教師でもと公務員です。38年間勤めましたが、大過なく勤め終えたと自分では思いますが、“公僕”という自覚を持って働いたと断言はできません。いささか自虐的ですが、職権を利用して自分の「優越性追求欲」を満たしたことも否めません。それでもアドラー心理学を学ぶようになって、「横の関係」の人間関係を意識するようになってからは、自分も多少は人様のお役に立ったのではないかと思います。

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