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スレッドNo.411

論語でジャーナル’25

10,宰予(さいよ)、昼寝(ひるい)ぬ。子曰く、朽木(きゅうぼく)は彫るべからず、糞土(ふんど)の牆(かき)は朽(ぬ)るべからず。予においてか何ぞ誅(せ)めん。子曰く、始め吾(われ)、人におけるや、その言を聴きてその行(こう)を信ぜり。今吾、人におけるや、その言を聴きてその行を観る。予においてか是を改む。

 宰予が昼寝をした(あるいは、病気でもないのに奥へ引きこもって寝ていた)。先生は言われた。「ボロボロに朽ちた木には彫刻ができない。泥土の垣根に上塗りできない。宰予に対して何を叱ろうぞ(叱っても無意味である)」。先生は言われた。『以前は、私は人に対するのに、言葉を聞くだけでその行いまで信用した。今は、私は人に対するのに、言葉を聞くだけでなくその行動まで観察する。(怠惰な)予のことで考えを改めたのである」。

※浩→「宰予」は姓は宰、名は予。字は子我。通称は宰我です。魯の生まれで孔子の弟子ですが、叱られてばかりです。伝統的な礼を重んじた孔子と、実用的な礼を切り開こうとした宰予(宰我)は、途中から理論的な対立が激しくなっていったとも言われます。学問かあるいは仕事の途中につい居眠りしてしまったのか、病気でもないのに奥の部屋で寝たのか、あるいはもっと過激な荻生徂徠の解釈では、昼日中から女と寝ていたのか、「晝(ひる)」を「畫=画」と読んで寝室に身分不相応の壁画を描かせたとか、そうした宰予を見咎めた孔子は、厳しく糾弾し批判したとされます。孔子が古代からの礼制を連綿と墨守する「礼」の理想を掲げていたとすれば、宰予は古代からの礼制をより合理的で実用的なものへ段階的に変化させていくのが理想だと考えていました。弟子が師匠に好かれるのは好ましいですが、「人から好かれなければならない」という信念がない人は、好かれようが嫌われようが、まったく意に介さないでしょう。野田先生は、「好かれなければならない」とは思わないとご自分でおっしゃっていましたが、人見知りはされるそうで、嫌いな人はご自宅に泊められなかったそうです。ということは、先生から好かれているか嫌われているか知りたかったら、「泊めていただけませんか?」と聞けばわかります。『アドレリアン』(1992年3月発行の通巻第9号)の「巻頭言」に『守る・破る・離れる』というのを見つけました。少し長くなりますが、在りし日の先生を偲んで引用しておきます。
→引用:ちょうど10年前の1982年には、私はシカゴ・アルフレッド・アドラー研究所にいた。そこでは、研究所の講義とは別に、バーナード・シャルマン先生の個人指導を受けていた。研究所での講義は系統的でもありよく工夫されもしていたが、正直言って、渡米前に本で学んだこと以上のものはほとんどなかった。これに対して、シャルマン先生から学んだことは、すべて目新しいことばかりであった。しかも、言葉で学んだことよりも、先生の治療やスーパービジョンの方法を見ることによって、生きた知恵を学ばせていただいたことが大きかった。
 ただ、ひとつ困ったことがあった。それは、先生が指導料を請求なさらないことであった。困ったが、何となく、こちらかも言い出しづらくて、そのまま日が過ぎていった。そこで、親しくなった絵画療法士のメアリー・フレミングさんという人に、「シャルマン先生が指導料を受け取らないのだが、どうすればいいだろうか」と相談してみた。彼女は、「私に聞くよりも、本人に聞くのがいいと思う」と、アドレリアンらしい答えをくれた。それで、シャルマン先生に直接聞いてみる勇気が出た。先生は、「私には何もお礼をしなくていい。私が教えたことを、日本人に伝えてくれれば、それで十分だ」とおっしゃった。そのときは気がつかなかったが、今にして思えば、これは高くついた。先生から受けた学恩を金銭で先生にお返しするなら、それで一応は精算が済む。ところが、日本人に行為で返すとなると、一生かかるではないか。こうして私は、アドラー心理学を日本に伝えることで、シャルマン先生への負債を返済しなければならなくなってしまった。
 こうなると、不便なものは、私はいつでも『正統』でいなけらばならないということである。私が伝えるものは、私の理論ではなくて、シャルマン先生から習ったアドラー心理学でなければならない。また、生徒さんたちは、私が教えるものをそのままアドラー心理学であると理解するから、みだりに私の独創を交えるわけにゆかない。少なくとも、何が私の独創で、何が本来のアドラー心理学であるかを、はっきりと区別して伝えなければならない。これは猛烈に窮屈なことである。しかし、この10年、私は極力そうしてきた。いくらかは私が新たにつけ加えたものであることを、自分でも意識し人にもそう言ってきた。これは、私の独創性を誇るためではなくて、むしろ正統理論からの逸脱を認めるためである。
 武道の世界に、『守・破・離』という理念がある。ある道を習うには、最初は一切独創を交えないで、ただ師範の言うとおりの型を「守る」。そして、型が完全に身についたら、それを少しずつ「破り」はじめ、他派の型なども学びつつ、自由に自分の型を作ってゆく。そして、ついには、道を極めて、すべての「型」から「離れる」のである。
 私は、シャルマン先生への負債のために、今もアドラー心理学の型に縛られていて、その学燈を「守る」ことがいちばん大きな仕事になってしまった。少しはそれを「破る」こともあるが、それを「離れる」ことは、おそらく一生できない。しかし、私からアドラー心理学の型を習った人たちには、この不自由を押しつける気はない。いつでも自由に「離れて」いいのである。ただし、せっかく良いものを学ばれたのであるから、基本的な理論と技法とをしっかりと体得してから離れてくださるのがいいと思う。この10年で、数は多くはないが、基本をしっかりとマスターされた人たちが育ってきている。その方々は、これから少しずつ「破る」段階に入られるのであろう。日本のアドラー心理学の第二の10年が始まるのである。引用終わり。合掌。

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