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スレッドNo.423

論語でジャーナル’25

15,子貢問うて曰く、孔文子、何を以てこれを文と謂(い)うか。子曰く、敏にして学を好み、下問(かもん)を恥じず、是(ここ)を以てこれを文と謂うなり

 子貢がたずねて言った。「孔文子は、なぜ、文という諡(おくりな)をされたのでしょうか?」。先生は言われた。「孔文子は、頭の回転が良くて学問を好み、目下の者に問うことを恥じなかった。だから、彼は文と諡されたのだよ」。

※浩→孔文子は衛の名門の出身で、姓を孔、名を圉(ぎょ)と言いますが、諡として最高の価値を持つ「文」を与えられていました。子貢は孔子に、「なぜ孔文子のような人徳(態度)に問題のある大夫(貴族)が、名誉ある「文」の諡を与えられたのか」と問いかけました。孔子は、あまり立派な人物とは言えない孔文子の美点である「頭脳明晰」と「向学心(学問への趣味)」を取り上げて、「文」の諡の理由を説明し、生前の孔文子の醜聞や悪評には一切触れませんでした。すでにこの世を去った死者の悪口を言ったり、価値を貶めたりすることを孔子は好まず、敢えて数少ない「美点・長所」に目を向けて称賛したのです。
 孔文子の悪評というのは、衛の君主である霊公の娘と結婚したのをいいことに、衛の国政を恣意的に専横して支配していたことです。なんでも、太叔疾(たいしゅくしつ)という若者の、初めの妻を離別させ、自分の娘を後妻に押しつけたのですが、若者は昔の妻を思い切れなくて、彼女をお妾さんとして外に囲いました。孔圉は怒って、若者のところへ追っ手を向けようとしたので、若者はそのことを孔子に相談しました。孔子がその計画を押し止めたと文献に書かれています。孔圉の死後は、妻が不倫したことがもとで、お家騒動が起こったりしました。そのことを知っていた子貢は、「なぜ、そんな孔文子が“文”などという立派な諡を送られたのか?」と不満だったのでしょう。しかし、孔子は子貢の不満に同意して一緒になって悪口を言うことを好まず、「孔文子にも評価されるべき良い面があったのだよ」と語りました。
 ちなみに、「文」という諡は、その人の生前の業績に送られるもので、立派な人物には良い諡が、好ましからぬ人物には悪い諡が送られました。「文」というのは、最上の諡の一つだそうで、「天地を経緯するを文と曰い、道徳博厚なるを文と曰い、学に勤め好んで問うを文と曰い、慈悲にして民を愛するを文と曰い、民に爵位を錫(たも)うを文と曰う」のだそうです。
 日本には諡の風習はないですが、「戒名」がそれに当たるのでしょうか。宗派によっては、立派な戒名は高額だとも言われますが、わが家の檀那寺は、両親ともに立派な戒名をくださいました。父は、「淳善院智峰信士」で、母は「浄善院妙親信女」です。悪い戒名として思い出すのは、中里介山作の世界最長篇小説「大菩薩峠」の悲劇のヒロイン“お浜”さんがもらった戒名は、「悪女大師」でした。彼女が“悪女”とするのはストーリーからして不当だと思います。東映映画の「大菩薩峠」で「お浜」と彼女に瓜二つの「お豊」の二役を演じた長谷川裕見子さんの熱演ぶりが瞼に浮かびます。彼女は船越英一郎さんのお母さんです。

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