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スレッドNo.430

論語でジャーナル’25

18,子曰く、臧文仲(ぞうぶんちゅう)、蔡(さい)を居(たくわ)え、節(せつ)を山にし梲(せつ)を藻(も)にす。何如(いかん)ぞそれ知ならん。

 先生が言われた。「臧文仲は、国君が使う占い用の大亀の甲羅を家老の身でありながら家にすえていたし、天子の建物のように柱の上の斗棋(ますがた)に山がたを掘り、梁(はり)の上の短い柱(うだち)に藻の模様を描いた。どうして、それで(世間で言うような)知者だと言えるだろうか?」。

※浩→臧文仲は、孔子の誕生より六十六年以前に死んだ魯国の貴族中の有名な賢者でした。ここでの孔子の批評はあまりにも厳しいです。、天子にしか許されていない礼制の制約を破って、自分を天子になぞらえるような越権のふるまいをしていました。安定した社会秩序を実現する政治にとって、礼制の遵守が一番大切だと考えていた孔子は、いくら学問に精通した碩学(賢者)でも、「礼」を無視するようでは本当の知者とは言えないと批判したのです。
 人格者の孔子が、他人を批判するのは珍しいですが、「礼」を無視した行動や、立場を超えた越権行為には、厳しい批判をしています。私が尊敬する野田俊作先生は、その偉大なリーダシップゆえにか、かつて一部の人から「教祖」呼ばわりされて、ネットワークで厳しく反論されました。その部分を引用します。
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 「私のスタンス」については、「尊敬」だとか「信頼」だとか「コミットメント」だとかいう単語を、**さん独特の意味で使われていたのでは、話が通じなくなります。それよりも前に、私が理解する限り、
>気持ち良く素敵な関係を持つにはどうしたらいいのだろう、ということが問題なんです。
 というふうにアドラー心理学は思っていなくて、「共同体にのために私にできることは何だろう」というアイデアがまずあって、そのために私が不快な思いをしなければならないのであれば不快な思いを引き受けるし、人と仲たがいをしなければならないのであれば仲たがいをするかもしれないと考えています。もっとも、なるべく不快な思いをしないで人と仲良くしたいとは思っていますが、しかし、それが目標ではないのです。「気持ち良さ」を目標にするのは、むしろフロイト心理学的であって、アドラー心理学的ではないと思いますし、「素敵な関係」を目標にするのはロジャーズ心理学ふうなのではないかと思います。
 次に、「これは、私言葉(アイメッセージ)でしょうか?」について。「私言葉」だの「お願い口調」だのは、歴史的に見て、本来のアドラー心理学の技法ではありません。それらは、ロジャーズ派からの借り物です。ですから、アドラー心理学の理論と思想に沿って使うこともできれば、沿わないで使うこともできます。また逆に、「あなた言葉(ユーメッセージ)」だの「命令口調」をアドラー心理学の理論と思想に沿って使うことだって不可能ではありません。つまり、お願い口調でもって人を支配することもできるし、命令口調でヨコの関係(これは本来のアドラー心理学用語)を作ることだってできます。ですから、技法にこだわる前に、まず理論と思想について点検しておかないといけないのです。
 それに、「あなたは『私言葉』を使っていない」というのは、「あなたは徳目Xをしていない」という文脈ですが、私が理解する限り、アドラー心理学的に生きるとは、「私は何をすべきか」を考えることであって、「あなたは何をすべきか」は、相手が求めたときや、相手のすることがひどく迷惑だったときにだけ考えることにする、ということだと思うのです。もっとも、私は**さんに「『あなたは徳目Xをしていない』という言い方をやめるように」とは申し上げません。それは**さんの課題ですから。ただ私は、アドラー心理学ではどう考えているかを申し上げているだけで、アドラー心理学の考え方ややり方を採用されるかどうかは**さんがお決めになることです。
 「課題の分離」について。今のアドラー心理学をめぐる政治情勢の中で、「教祖」という単語には、特殊な意味が込められています。すなわち、Iさんが使われた文脈としては「ファシスト」とか「独善的」とか「カルト」とか「アドラー心理学教団」とかいう単語との連想を伴いながら「教祖」という単語が使われています。仮に**さんが、そういう文脈に無知で、何気なくその言葉を使われたとしても、ここは公衆の面前です。政治情勢に敏感な読者の中では、私が指摘しているような政治的な意味を帯びて『教祖』という言葉が響くでしょう。それは、私にとってははなはだ迷惑です。迷惑がかかったので、**さんに対して、「私に向かって『教祖』という言葉を使わないでくれ」と言いました。課題の分離→迷惑がかかっている→共同の課題の提案、というルートを通ったのですが、何か問題がありますか?
 「感情の目的は何でしょうか」について。私はいわゆる「Dタイプ」で、相手が悪意を持って私を中傷したときには感情的にならず、相手が故意でなく私にひどいことを言ったりしたりしたときには感情的に反応します。しかして、**さんが私を「教祖」と呼んだのは、あの時点では「故意だ」と思っていましたから、感情的に反応しませんでした。今は「故意じゃなかった」とわかったのですが、感情的に反応するにはもう間延びしてしまったので、反応していません。
 ああいう反応を見て「怒っている」と感じられるということは、**さんはおそらくAタイプやDタイプじゃないんでしょうね。つまり、感情的だと感じられるのは、むしろ**さんの側の認知バイアスじゃないかなと思います。
 まあ、感情的であるかはどうかは別として、口が悪いのは私の問題点ですから、言い方に剣があって**さんを不快にさせたのであれば、それについては謝罪します。

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