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スレッドNo.432

論語でジャーナル’25

19,子張問うて曰わく、令尹子文(れいいんしぶん)、三たび仕えて令尹と為れるも、喜ぶ色なし。三たびこれを已(や)めらるるも、慍(いか)れる色なし。旧き令尹の政、必ず以て新しき令尹に告ぐ。何如(いかん)。子曰く、忠なり。曰く、仁なりや。曰く、いまだ知らず、焉(いずく)んぞ仁なるを得ん。崔子(さいし)、斉君(せいくん)を弑(しい)す。陳文子、馬十乗あり、棄ててこれを違(さ)る。他邦に至りて則ち曰く、猶(な)お吾が大夫(たいふ)崔子がごときなりと。これを違る。一邦(いっぽう)に至りて、則ちまた曰く、猶吾が大夫崔子がごときなりと。これを違る。何如。子曰く、清し。曰く、仁なりや。曰く、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。

 子張がおたずねした。「楚の令尹(宰相)の子文は、三度令尹に就任したが嬉しそうな様子は見せませんでした。また、三度令尹を辞任させられましたが、恨めしがる様子は見せませんでした。いつも、もと令尹のときの政策を新令尹に引き継ぎました。どうご覧になりますか?」先生は言われた。「それは誠実(忠実)だ」。子張はまたおたずねした。「仁と言えましょうか?」。先生が答えられた。「十分な知性を持った人物とは言えないから、仁とはなしえない」。。
さらに、子張がおたずねした。「(斉の家老の)崔子が斉の君主(荘公)を殺しました。同じ(斉の家老の)陳文子は4頭立ての10台の戦車を持っていましたが、それを捨てて(斉を)立ち去りました。他国に着くと、「やはり、ここにも斉の家老の崔子と同じような人物がいる」と言ってそこを去り、別の国に行ったが、また「ここにも斉の家老の崔子と同じような人物がいる」と言ってそこを去りました。これは、いかがなものでしょうか?」。先生は言われた。「清潔だね」。子張がたずねた。「仁と言えるでしょうか?」。先生がお答えした。「知性に欠ける。どうして仁と言えようか」。

※浩→門弟の子張は、「仁」の徳を高潔な人格を持って体現した人物として、楚の名宰相であった子文と、斉の重臣であった陳文子を挙げて、孔子に「彼らは仁であると言えるでしょうか?」とたずねてみました。孔子は、当時の首相に当たる令尹の重責にありながら、その権力に頓着せず粛々と伝統に従って職務をこなす子文を「誠実である」と高く評価しましたが、知力が十分ではないのでまだ「仁」ということはできないと答えました。
 斉の主君に忠実な家老の陳文子についても、「清潔である」と高く評価しながらも、知力が不足しているのでまだ「仁」ではないと答えました。孔子の理想とする「仁者」は、単に「忠義・清浄」という人格的な高潔さを備えた人を指すのではなくて、時勢を見極めて社会(天下)に貢献するだけの知力を備えた「智者」でもないといけないのです。「仁者」と呼ばれる条件の高さがよくわかります。と当時に、為政者の条件も示されているように思われます。
 「仁」の徳からアドラー心理学の「共同体感覚」を連想します。「仁」は内的構えであるのに対して、「共同体感覚」の「感覚」は内的構えのようにとれますが、アドラーが「共同体感覚」の原語・ドイツ語のゲマインシャフツゲフールを英語に訳すとき、social interestと、interest「関心」としていることから、外へ向けられていることがわかります。アドラーの若いときの英語の著作では、social feelingでしたが、晩年にはsocial interestと言い換えています。feelingは受動的な感覚・感じ方で、interestは関心・能動的な関わりです。共同体感覚がアドラーの中で、受動的な感じ方から、世界との積極的な関わりに変わっていきます。“感覚”と言うから、「センス」とか「ものの見方」だと思ってしまうのですが、実は、世界とのつきあい方という、行為とそれを背後から支える態度だとアンスバッハーが解説していました。アドラーのお弟子さんが、「共同体感覚をどうやったら教えることができますか?」とたずねたら、アドラーは“Live it.”と答えたことからも、このことがよくわかります。こういうことは人に「言葉」で教えても伝わらないのですね。「自分が生きてみせること」です。
 孔子が先輩政治家を「仁」の立場から厳しく批判しているのも理解できます。日本の政治家はほとんど落第しそうです。

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