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スレッドNo.437

論語でジャーナル’25

21,子曰く、甯武子(ねいぶし)、邦(くに)に道あるときは則ち知。邦に道なきときは則ち愚。その知は及ぶべきなり、その愚は及ぶべからざるなり。

 先生が言われた。「甯武子は、国に道のあるときは知者で、国に道のないときは愚かであった。その知者ぶりは真似ができるが、その愚か者ぶりは真似ができない」。

※浩→大まかな解説としては次のとおりです。孔子が生まれる前の紀元前7世紀前半、衛の名宰相であった甯武子(ねいぶし)は、衛の君主の座を巡る内乱を収拾した人物です。彼は賢者として抜群の知略を振るうこともありましたが、愚者のふりをして空とぼけをすることもありました。孔子は、「甯武子の賢人ぶりは真似をしたいものだが、愚者のふりをしたとぼけたふるまいはなかなか真似ができない」と批評しました。
 これだけでは、評価しているのか批判しているのかが定かではありません。吉川幸次郎先生の解説では、甯武子は、平和時には知者としての技倆を十分に発揮し、危機の時代には、鋭敏な知者としての性質、事柄の見通しが早くつく性質を抑えて、愚直な誠実さを働かせたと言われます。その知者としての技倆は、他人も真似し追いつくことができるけれども、その愚は真似ることができない、と讃えたのである、と。この解説のおかげで、孔子は甯武子を非難してはいないことがわかります。甯武子は、前623年、衛の国使として魯に来朝したとき、歓迎の宴の席上、天子が諸侯をもてなすときの音楽を演奏しました。甯武子がそっぽを向いて挨拶をしないので、主人側から注意されると、「今のはリハーサルかと思った」と、とぼけてそっとその間違いを正したと言います。演技力に富む中国の政治家には、知者ぶるだけでなく愚者ぶって空とぼけるのが上手な人が多いそうです。今の政治家はどうでしょうか?時代劇ではよく、家老などお家乗っ取りを企む悪者から身を守るために、お殿様が狂気のふりをするということがよくありました。現代物では、詐病を装い、子どものころ変質者に妹を惨殺された兄が大人になってその変質者に復讐するという「三十九 刑法三十九条」という映画がありました。堤真一さんと鈴木京香さんが主役でした。とても考えさせられる映画でした。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年02月22日 07:34)

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