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スレッドNo.445

論語でジャーナル’25

25,子曰く、巧言・令色・足恭(すうきょう)は、左丘明(さきゅうめい)これを恥ず、丘もまたこれを恥ず。怨みを匿(かく)してその人を友とするは、左丘明これを恥ず、丘もまたこれを恥ず。

 先生が言われた。「弁舌が巧み・表情が豊か・やたらに腰が低いというのは、左丘明は恥ずべきことと考えた。丘(孔子)もやはり恥とする。怨みの気持ちを隠してその人と友人になるのは、左丘明は恥と考えた。丘もやはり恥とする」。

※浩→左丘明は、孔子が敬意を抱いていた人物の一人ですが、詳細は不明です。『春秋左氏伝』の著者だとされています。孔子の先輩とも後輩とも考えられていますが、確かではありません。
 孔子は言葉が上手くて容姿や表情が演技がかって(芝居がかって)いる「巧言令色」を嫌い、巧言令色によって他人の好意を得ようとする人には「仁」が少ないとまで言っています。過度に恭(うやうや)しくて、お世辞やお追従(ついしょう)ばかりする人物も信用ができない。また、孔子は左丘明と同じく、自分の内面にある憎悪や嫌悪を押し隠して接近し、うわべだけ仲良くするような人物は恥を知らないと考えました。
 「巧言令色鮮(すくな)し仁」と、「学而編」「陽貨篇」にあります。いかにこのことを孔子が強調していたかがよくわかります。わが国でも、“慇懃無礼”というフレーズがあります。常に丁寧で礼儀正しいのも、過ぎると嫌みになり、かえって礼を失することになるという意味で、また、うわべは丁寧で礼儀正しいが、実は尊大であることを言います。
 吉川幸次郎先生は特に後半の「怨みを匿して其の人を友とする」を重視されました。イヤな人物だと思いながら、いろんな関係でやむなくつきあうことが確かにあります。
 アドラーの著作『人間知の心理学』の中に、「虚栄心」について解説があります。一節を引用します。2月の「岡工講座」のテーマでもありました。3月もこのテーマの続きです。
 虚栄心はたいていの場合隠されており、いろいろな形を取る。一定の謙虚さを示しながらも、虚栄的であることもある。人間というものは非常に虚栄心が強いので、他人の判断をまったく意に介さないか、あるいは、それを強欲に求め、自分の都合のいいように利用しようとしたりする。(「人間知の心理学」、A・アドラー、高尾利数訳、春秋社)

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