論語でジャーナル’25
3,哀公問う、弟子(ていし)孰(たれ)か学を好むと為す。孔子対(こた)えて曰く、顔回という者あり。学を好む。怒りを遷(うつ)さず。過ちを弐(ふたた)びなさず。不幸、短命にして死せり、今や則ち亡(な)し。未だ学を好む者を聞かざるなり。
哀公がおたずねになった。「あなたのお弟子の中で学問好きと言えるのは誰ですか?」。孔子は答えて申し上げた。「顔回という者がおりました。学問好きでした。ある人に対する怒りを他の人に移して八つ当たりをしませんでした。同じ過ちを二度と繰り返したことはありませんでした。しかし、不幸にも短命にして死んでしまい、もうこの世にはいません。(私はそれ以降)まだ、学問を本当に好きな者を聞いたことがございません。
※浩→哀公は魯の国の最後の君主です。論語『先進篇』では、若くして死んだ顔回に対する孔子の深い苦悩や悲哀が描かれています。孔子六十一歳のとき、顔回は三十二歳で亡くなったと言われます。顔回は孔子が最も将来に期待していた愛弟子で、学問を誰よりも深く愛していて、孔子の弟子たちの中で抜群の学識と理解力を誇っていました。孔子は顔回の夭折(ようせつ)を聞いて、「この優れた人物にして、こういった悲劇的な運命があるのか」と深く嘆き悲しんだそうですが、初期の儒学教団において非常に重要な位置づけを持っていた人物と考えられます。
顔回は幸せなお弟子さんです。これほどまでにお師匠様に愛されて。でも、そこまで愛されるには顔回の向学心と理性的な生活態度が、他のお弟子よりもダントツ抜きん出でいたのでしょう。
それにしても、顔回は師匠より先に逝きましたが、わが師匠は弟子の私より先に旅立たれました。逆じゃないですか!もっともっと学びたいことがあったのに(怒&悲)。今月の岡工講座の講演の中に、親より先に亡くなった子どもは、三途の川の手前の「賽の河原」で「1つ積んでは父のため、2つ積んでは母のため」と、決して報われることのない石塔づくりを科せられます。やっと積み終えるとそこへ鬼がやって来て、その石塔をぶっ潰すんです。そしたらまた初めから「1つ積んでは…」と積み始めます。昼夜これを繰り返す永劫作業です。西洋で有名なのはカミュの「シーシュポスの神話」があります。神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けました。彼は神々の言いつけどおりに岩を運ぶのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまいます。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのでした。カミュはここで、人はみんないずれは死んですべては水泡に帰すことを承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の不条理な姿を、そして人類全体の運命を描き出したのです。「報われない作業」であるにもかかわらず、むしろそれを逆手にとって、「やっても意味はないのか。そうか。それでもやってやろうやないか!」。この不条理な世界での人間の生き方のモデルになっています。