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スレッドNo.463

論語でジャーナル’25

6,子、仲弓を謂いて曰く、犂牛(りぎゅう)の子も騂く(あか)く且(か)つ角(つの)あらば、用うる勿(なから)んと欲すと雖も、山川それ諸(これ)を舎(す)てんや。

 先生が仲弓を評価して言われた。「鋤を引くまだら牛の子であっても、赤毛で立派な角があれば、その牛を人間が祭祀の犠牲に捧げないでおこうと思っても、山川の神様がその牛を放ってはおかないだろう(結局、祭祀の犠牲としてまだら牛は葬られるだろう)」。

※浩→孔子は、家柄(身分)の低い仲弓が政治指導者に必要な実力と資質を備えていることを見抜いていて、仲弓を「農耕用のまだら牛」に喩えて、仲弓の将来の出世を予期しています。国家や一族の繁栄を祈るための祭祀には、通常、毛並みの良い立派な牛を犠牲として捧げますが、この毛並みと血統の良い牛は「貴族階級」のメタファー(隠喩)となっています。孔子は、平民や農民の身分の低い家柄の出身者でも、すぐれた仁徳と実力があれば「政治指導者としての君子になる資格」があると考えていました。祭祀儀礼で犠牲になって葬られるというと「悪い出来事」のように思えますが、この文章では「祭祀の犠牲に選ばれること=群衆の中から有徳の君子として選ばれること」を暗黙裡に意味しています。
 要するに、孔子の言うのは、「毛並み(血統、家柄)の劣る人間でも、才能ある者は必ず世間に認められる」ということです。今日の社会では当然のことのようですが、実態はどうでしょうか。国会議員や高級官僚の学歴に「東大卒」が高い比率を占めています。それで、民主党政権時代の菅(かん)総理大臣は法政大学出身で、就任当初は「庶民の味方か」と期待されたようです。残念ながらその後次第に人気が衰えて、東日本大震災への対応などは失策だったようです。歌舞伎の世界では名門の子息でないと良い役が与えられませんでした。その例外として、澤瀉屋(市川猿之助さんの家)では、三代目(=二代目猿翁)が、国立劇場新人養成コースから抜擢して「部屋子(直弟子)」にした人がその後おおぜい大成しています。市川笑也さん、笑三郎さん、猿弥さん、段治郎→月之助→喜多村緑郎さんなどは、猿之助さん主役のお芝居では準主役または重要な脇役を演じました。他の家系ではこういうことはほとんどなかったですが、成駒屋の「中村芝のぶ」さんという女形さんは、だいたい腰元が何人も出る中の1人ような役ですが、故・十八世中村勘三郎さんは、例えば、『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)=法界坊」での野分姫(のわけひめ)というような大役を与えていました。失礼な言い方ですが、家柄の俳優さんだとさほど美形でなくても大役がつくのに、芝のぶさんのような、上品で美しい人がほとんど常に端役しかもらえませんでした。お相撲さんの世界では外国人の力士さんがいますから、歌舞伎界もそのうち変わってくるかもしれません。ま、知らんけど。

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