論語でジャーナル’25
10,伯牛(はくぎゅう)、疾(やまい)有り。子(し)、これを問う。扁(まど)よりその手を執りて曰く、これを亡(ほろ)ぼせり、命(めい)なるかな。斯の(この)人にして斯の疾あるや、斯の人にして斯の疾あるや。
冉伯牛(ぜんはくぎゅう)が病気に罹っていた。お見舞いに行かれた先生は、窓から冉伯牛の手を取って言われた。「病気が伯牛を滅ぼそうとしている(こんな道理があってよいはずはない)、これが運命というものなのか。この優れた人物が、こんな病気に罹ってしまうとは、この優れた人物が、こんな病気に罹ってしまうとは」。
※浩→伯牛は姓は冉、名は耕で、顔淵・閔子騫・仲弓に並ぶ孔子門下の有徳な君子と見られていた人物です。孔子は、自分が期待と情愛をかけていた伯牛が重い病気に罹ってしまったと聞いて、見舞いのために伯牛を訪れてその手を握って、どうしようもない病状への悲嘆の思いを吐露しました。孔子は徳行第一とも評価されていた伯牛の重病(ハンセン病とも言われる)に対して、人間の意志や人徳では対抗しようのない「運命の不条理」を悟ったのです。「こんなに立派な徳のある人物に、このような重い病気が起こるのか」という言葉には、孔子の深い慨嘆と悲しみ、弟子への愛情が込められていて、人為的な努力や徳性を超越した「不可避の運命」を痛感しています。
異説として、孔子が伯牛の顔を見ずに窓から手だけを取ったのは、「形式的な儒教の礼制」に従っただけという説もあって、孔子が人情と礼節のどちらをより重視していたのかについては議論があるそうです。
「こんなに立派な徳のある人物に、このような重い病気が起こるのか」「運命の不条理」は、私も声を大にして叫びたいです。岡山工業高校で同僚だった細川公之先生や田村剛章先生(デザイン科の先生で、ご一緒にアドラー心理学をお勉強したこともあります)もすでに亡くなられました。わが親族にも若くして他界した該当者がいます。新型コロナの犠牲者の方々の災難も不条理です。チャップリンの『独裁者』を観ました。1940年の現実にヒットラーが存在しているときに、この映画を製作したその勇気に驚きます。
映画は第一次世界大戦における戦場の場面から始まります。チャップリンは、架空の国トメニアの陸軍重砲部隊に所属する無名の二等兵(以下、役名を「床屋のチャーリー」とする)として登場します。前線で味方とはぐれたチャーリーは負傷した士官のシュルツを救出して、シュルツが所持している重要書類を本国に届けるべく飛行機で飛び立ちますが、2人の乗った飛行機は燃料切れで墜落します。2人は生き延びますが、トメニアはすでに降伏していました。チャーリーは墜落のショックで戦争中の記憶を失って病院で過ごしますが、この間にトメニアでは政変が起こって、アデノイド・ヒンケル(チャップリン:一人二役)が独裁者として君臨し、内務大臣兼宣伝大臣ガービッチと戦争大臣ヘリング元帥の補佐を受けつつ、自由と民主主義を否定し、国中のユダヤ人を迫害するようになっていました。……その後どうなったかは、長くなりますので省略しますが、ラストで、ヒンケルと入れ替わったチャーリーが、侵攻した隣国オストリッチの大群衆を前に行なった演説が心を打ちます。チャップリンの主張が圧縮されているようです。以下引用しておきます。
↓
悪いが、私は皇帝になりたくない。支配するよりも人々を助けたい。ユダヤ人も、黒人も、白人もお互いに助け合わねばならない。他人の幸せを願い、憎みあってはいけない。地球には全ての人を包む豊かさがある。
人生は自由で楽しいはずなのに貪欲が心を支配し、憎悪をもたらし悲劇と流血を招いた。スピードも役に立たず、機械は貧富の差を広げた。
知識を得た人間は優しさをなくし、心の通わない思想で人間性が失われた。
知識より大切なのは思いやりと優しさ。それがなければ機械と同じだ。航空機やラジオで人々が近づき、それで世界をひとつにできる。私の声が世界中に伝わり、失意の人々にも届いている。彼らはこの歪んだ支配体制の犠牲者である。
人々よ、希望を捨てるな。
貪欲が招いた不幸も、人として生きる不安も独裁者の死と共に消え去る。そして民衆は政権を取り戻す。
兵士よ良心を失うな!独裁者に惑わされるな!君たちは支配され、まるで家畜のように扱われている。彼らの言葉を信じるな!彼らには血も涙もない。君たちは機械ではなく人間なのだ。
人を愛する心を持て。愛があれば憎しみは生まれない。
“神の国は汝らの中にある”聖書の言葉だ。君の中にも私の中にもその力がある。すべてを創造する力は君たちの中にあるのだ。
自由で希望に満ちた世界を作ろう!民主主義の名のもとに団結しようではないか。新しい世界のために戦おう!雇用や福祉が充実した社会を作ろう!独裁者たちも同じ約束をした。だが口先だけで約束を守らなかった。
約束を果たすために戦おう!世界を解放し国境を無くし貪欲や憎しみを消し去るのだ。
良心のために戦おう!科学の進歩が人々を幸福に導くように。
兵士よ民主主義指数ために団結しよう!
ハンナ(床屋の恋人)、聞こえるかい?顔を上げるんだ。太陽が顔を出し、明るく照らし始めた。
新しい世界の始まりだ。人々が憎しみや貪欲や暴力を乗り越えた。
見上げてごらん。人の魂には翼があったんだ。やっと飛び始めた。虹に向かって飛んでいる。希望の光に向かって。すべての人の輝く未来に向かって。
さあ見上げてごらん。
↑
引用終わり。
ウクライナとロシアの人々やイスラエルとパレスチナの人々にこのように語りかける人はいないのでしょうか?