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スレッドNo.480

論語でジャーナル’25

14,子游、武城の宰となる。子曰く、汝、人を得たるか。曰く、澹台滅明(たんだいめつめい)という者あり。行くに径(こみち)に由(よ)らず、公事にあらざれば、未だ嘗て(かつて)偃(えん)の室に至らざるなり。

 子游が武城の領主(城主)に任命された。先生が言われた。「お前は、誰か有為な人物を見つけたのか?」。子游はお答えした。「澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。道を行くときは近道をせず、公事がなければ今まで偃(子游の実名)の城の部屋に来たことがありません」。

※浩→孔子が武城の領主となった子游に、「誰か有能な人物を見つけたのか?」と問うたところ、子游は澹台滅明(たんだいめつめい)という面白い人物がいると答えました。この澹台滅明の並外れた学識と才知を孔子は事前に見抜くことができなかったというが、その理由は澹台滅明の外貌が醜悪であったからだと言います。容姿が醜いということで魯国であまり重用されなかったというエピソードを持つ澹台滅明ですが、のちに儒学の南方布教に大きな功績を残していて、呉国で多くの弟子を育成することに成功しているそうです。
 公務でない限り子游の自宅を訪問したことがないというのは、過去の中国では地方の紳士が地方官(まあ、お代官様)に種々の請託を行うことはしばしば見られたそうですが、澹台滅明はそれをしない潔癖な人物であったということです。そう言えば、以前、菅元総理のご長男と総務省の役人が会食したことがニュースになっていましたが、このお役人のようなことを澹台滅明はしなかったのでしょう。
 容姿が「ぶさいく」だから要職につけないなんて、今の世の中ではありえません。“差別”です。六代目三遊亭圓生の『淀五郎』という古典落語の“まくら”に、器量の良い赤ん坊が生まれたら、役者にでもなればいい」「不細工な赤ん坊が生まれたら噺家にでもなればいい」とありましたが、現在ではこれでは大ブーイングでしょう。昔、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」をもじって、「立てばゴミ箱、座れば火鉢、歩く姿はガスタンク」とふざけたり、「後ろ美人、前びっくり」を、「後ろびっくり、前卒倒」と言い換えて遊んだことがあります。井原市立高校在職中に住んでいたアパートの隣家の長男(亨ちゃん、当時小学校5年生くらいで、私はよく勉強を教えてあげていました)がお母さんを冷やかして、こんなことを言っていました。彼は私より一回り年下でしたから、今はすっかりおじいさんになっているはずです。井原市は私の最初の赴任地で5年間住みました。ちょうど父を亡くしたあとで、母と妹も同居するようになって、親子水入らずでわが家にとって最も幸せな一時期でした。やがて、ここから妹が嫁いでいきました。

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