MENU
43,624

スレッドNo.500

論語でジャーナル’25

24,子曰く、斉(せい)、一変せば魯に至り、魯、一変せば道に至らん。

 先生が言われた。「斉国を一度変革すれば魯国のようになり、魯国を一度、変革すれば理想の道(政治)へと到達することができる」。

※浩→「斉」は山東省の半分以上を領有する当方の大国で、「魯」は孔子の祖国で山東南部の小国でした。魯は周王朝の政治と文化の基礎を作った聖人・周公旦の後裔で、その周公・旦は文王の子、武王の弟で、王朝と同姓の親藩でした。それに対して、斉の君主は、姜を姓とする譜代大名ですが、その祖国はやはり周王朝創業の際の功臣・太公望でした。この二国に寄せる孔子の期待は、斉は少し政治を変化させれば魯の程度になり、魯の政治は、少し変化させれば完全な道徳政治に到達する、ということだったようです。古注では、斉も魯も大聖人と大賢人の後裔だから期待を持ったとし、新注では、孔子の時代、魯はなお礼教を重んじる文化国家であったのに対して、斉は実利を重んじる権謀の国家であったところから、このように差異をつけ、しかも絶望ではないと言ったとしています。吉川幸次郎先生は、孔子の真意がつかめないと述べられています。ただ、あとの「子路篇」には「魯と斉の政(まつりごと)は兄弟なり」というのが、魯の政治への絶望のように響くのに対して、ここではまだ期待をもって眺められているようだとも述べられています。新注では、斉は強国で魯は弱国で、魯は斉より劣るとするのが常識だったのに、孔子は勇敢に、「文化の存する所を上位に置いた」と讃えています。現在のウクライナとロシアの関係で、ウクライナが魯で、ロシアが斉に見えてきます。日本と中国の関係はどうでしょうか?かつてはどう見ても文化的には中国が上でした。現在の中国はもちろん優れた文化を保持しながら、経済的には資本主義の特徴が顕著に出てきたようです。経済は資本主義で、政治や文化面での統制が厳しいのは残念です。私の憧れる孔子聖人や孟子を生んだ素晴らしい国であり、日本文化のルーツでもあることを忘れてはいけないと思います。岡山には閑谷学校という江戸時代に庶民教育を行った孔子ゆかりの閑谷学校があって、誇らしいです。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

ロケットBBS

Page Top