論語でジャーナル’25
25,子曰く、觚(こ)、觚ならず、觚ならんや、觚ならんや。
先生が言われた。「伝統的な觚(こ)の杯(さかずき)も、本来の觚の形を失った。これが觚であろうか。これが觚であろうか」。
※浩→觚(こ)とは、お酒を飲むための杯のことで、この形が古来からの伝統的な形を失ってしまったことを孔子は嘆いているのです。なぜなら、孔子は『古代の觚』を『古代の周礼(周の時代の礼法)』に重ね合わせているからで、儒学が基本的に保守思想である以上、伝統的な形態や慣習が無闇に変化させられることを好ましくないと考えていたのでしょう。
もとを辿ると、「觚は礼に用いる器なり、一升のものを爵と曰い、二升のものを觚と曰う」という馬融の説を引いて、荻生徂徠は、古代の二升は日本の一合七勺八分であり、小杯だったとしています。小さい杯を“猪口(ちょく→ちょこ)”というのに似ています。そうすると、酒はまさに寡少に飲むべきなのに、今はみんなが大酒を飲む。それで「觚ならんや(何が觚だ)」と言ったのだという説があります。ドキッ!明日は、月例岡工講座で懇親会があります。飲み過ぎないように気をつけます。さらに、過食にもならないように適量のお料理を楽しむことにします!
また「觚」の一番元の意味は、「稜(りょう=かど)」で、杯としては、四角な角のある杯ですが、別にまた木を長六面体か長八面体に削り上げて、子どもの習字の道具にしたもの、今の石版のようなものも「觚」と呼ばれました。朱子は、「觚、觚ならず」を、本来角のある道具の觚が今は角がない、おかしなことだと解釈したそうです。まるで、“もらいものの角砂糖のよう”と、故・三遊亭圓生師匠ならおっしゃったでしょう。
儒学が保守思想だというのは、すぐあとの「述而篇」の「子曰わく、述べて作らず。信じて古を好む。窃(ひそか)に我が老彭に比す」のところでもよくわかります。これは謙遜しているようでもありますが、別のところでは「温故知新」と言っていますから、ただの懐古趣味ではないようです。いずれにしても、私たちは、先人の残した貴重な遺産を大切にして、そこからさらに新たな展開・発展をめざしていくものではあります。NHKラジオの早朝番組(オールナイト番組の最後)は関西版(大阪からの放送)で、“滅び行く京都の町家”について放送されていました。祇園祭が京都の町家を残したそうです。さらに第二次大戦で連合国が京都を空襲しないで、貴重な町家や神社仏閣を残してくれたのに、戦後、資本主義の悪い面がそれらを破壊して、ビルや駐車場を作って近代都市にしてしまいました。祇園祭の山鉾が町家を抜けて通過すると、屋根屋根よりも鉾のほうがはるかに高く空にそびえていました。これがビル街を通過すると、鉾よりもビルのほうが高くきらびやかなんだそうです。イタリアのフィレンチェでしたかは、500年前の古い建物がそのまま市役所に使われていて、今、そこで職員がパソコンを打っているそうです。京都府庁は古い建物を一応残してはいるそうですが、職務は行っていないそうです。この差は大きいです。近代化とか開発とかは、日本では古いものをぶっ壊すことだと信じられてきたようです。とんでもない傲慢です。和服を着用するのは、今は花柳界か、成人式で新成人がやたらケバい振り袖を生涯に一度着るかですし、古典芸能の歌舞伎や能楽や和楽もどんどん廃れて、そのうち、この日本から消えてしまって、伝統もない無国籍文化の国になってしまうのでしょうか。孔子の「觚(こ)、觚ならず、觚ならんや、觚ならんや」という嘆きが心にしみます。歌舞伎では昭和の名優さんたちが次々亡くなられて、最近の舞台はどこか隙間風が吹いているように感じます。大ファンだった三代目市川猿之助さんも逝かれました。わが家に残る映像記録をときどき出して在りし日を偲ぶことにします。圧巻はやはり「伊達の重役」でしょうか。