論語でジャーナル’25
28,子、南子(なんし)を見る。子路説(よろこ)ばず。夫子これに矢(ちか)いて曰く、予(わ)れ、否(よから)らざるところのものは、天これを厭(す)てん、天これを厭てんと。
先生が、美貌で多情な衛霊公夫人・南子に会われた。子路が不服で仕方がない。そこで孔子は子路に言われた。「私にもし間違いがあったならば、天が神罰を下されようぞ。天が神罰を下されようぞ」。
※浩→「世界の名著」の解説がとても面白いので、引用しておきます。
孔子は56歳のとき、魯の国を去って衛国に亡命しました。美貌で多情な衛霊公夫人・南子が謁見するよう通告してきたので、孔子はこの意向を無視できずに、ついに参内しました。南子は、自分の魅力がこの有名な学者をどれほど迷わせることができるか試したかったのでしょう。その結果はどうであったか事実はわからないですが、南子が孔子をすっかり魅惑したという噂が国中に流れたらしい。それで、一本気の子路はすっかり不機嫌になってしまった。孔子が霊公を説得するための手段としてまず南子に会ったのだとも、南子が孔子を政治家として任用しようとしたという説もあるが、大聖人孔子の一生で唯一の女性関係の物語です。春秋時代の列国の貴族社会では、男女間の交際は自由で、多くの恋愛事件が起こったそうで、噂が子路を怒らせたのです。孔子は天罰を引き合いに出して、間違いを起こしていないと誓ったのを、そのまま信ずるほかはないですが、あえて聖人の過ちともとれるエピソードを載せたところに、原始儒教教団の寛容さがあると言えるのでしょう。
孔子といえば、さぞかし色恋とは無縁の“石部金吉”かと思いきや、このエピソードは微笑ましいです。「英雄色を好む」とは言われますが、学者はどうでしょうか?“その道一筋”の偉大な人は、世間的には“変人”が多いかもしれませんが、あまり“浮いた話”は聞きません。ソクラテスの妻クサンチッペは、世界三大悪妻の一人だそうです。「人前で夫を罵倒し頭から水を浴びせたり、現在過去未来、これほど耐え難い女はいないだろう」と、弟子クセノフォンの著書に書かれています。ソクラテスはそれでも、「良い妻を持てば幸せになれるが、悪い妻を持てば私のように哲学者になれる…」と考えていて、「そんなにひどい妻ならなぜ別れないのか?」と言われたら「クサンティッペとうまくやっていければ、他の誰とでもうまくやっていける」と答えたとか。先生が学校でもしも指導困難なクラスを担任したら、「このクラスでうまくやていければ、他のどのクラスでもうまくやっていける」と転用できそうです。
三大悪妻の2番目は、モーツァルトの妻・コンスタンツェだそうで、これは意外です。実は彼女は教養が高く、家事もしっかりこなしていたという説もあるようです。3番目はトルストイの妻・ソフィアです。財産を貧しい人に与えたいと理想に燃えたトルストイと、財産を守るため版権を取得するのに奔走したソフィア。耐えられなかったトルストイが家を出たと言われています。
野田先生のお若いころの自己紹介には、「好きなものは酒・歌・女、嫌いなものはゴキブリ」とあります。女性方が野田先生を大好きで放っておかないのだと思います。学者つながりで、連想を広げていくと、1961年の松竹映画「好人好日」の笠智衆さん演じる奈良の大学の数学教授が思い当たります。この人は、こと数学にかけては世界的な学者ですが、数学以外のことは全く無関心で、とかく奇行奇癖が多く世間では変人で通っています。妻(淡島千景さん)は彼を尊敬し貧乏世帯をやりくりして30年。戦災孤児だった娘(若き日の岩下志麻さん)を実子として育てて、彼女は適齢期。教授が文化勲章を授かることになり夫婦で上京。せっかく授かった勲章を宿に侵入したコソ泥(三木のり平さん)に盗まれてしまうという、ドタバタ調でしかも人情味たっぷりの名画でした。教授はもちろん好色ではなさそうで、愛妻家ではありました。この時代の映画はホッコリしてここらが癒やされます。のちの「極道の女たち」の彼女とは大違いで完全清純派という感じです。女優さん(今は俳優さんですか)は凄い!