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スレッドNo.544

論語でジャーナル’25

16,子曰く、祝它(しゅくだ)の佞(ねい)あらずして、宋朝(そうちょう)の美あるは難(かた)いかな、今の世に免れんことは。

 先生が言われた。「祝它のように口上手でなくて、宋朝のような美貌の持ち主というだけだと、今の世を無難に送ることは難しいな」。

※浩→祝它(しゅくだ)は衛の霊公の時代の名家臣であり、相手を議論で打ち負かす『雄弁術の才能』に優れていたと言われます。祝它は、当時の覇権国・晋(しん)と会合したB.C.506年の『召陵の会』という大国際会議に衛の霊公に従って参列し、会議の席次について議論が起こったときに、大いに雄弁をふるって、自国の優位を主張したそうです。「侫」はここでは「雄弁」の意味です。一方、宋朝は、宋の公子・朝で、大変な美形だったそうです。衛の霊公の夫人・南子はなかなかの女性だったそうですが、この女性が衛に嫁入りする前、まだ宋の姫君だったころ、最初の恋人として愛したのが、この宋朝でした。南子を喜ばせるために宋から招かれたと言われます。この道ならぬ恋が、以後の衛の騒動の遠因になります。
 この箇所の解釈は古注と新注で分かれます。古注では、「祝它のような弁舌はなくて、美貌だけ持っている者は危ない。美貌の上に弁舌を兼ね備える者にして、はじめてやっていける」となり、新注(朱子)では、「祝它ほどの弁舌があり、その上に宋朝ほどの美貌を持つ者でない限り、今の世の中のおそろしさを免れ、くぐり抜けて生きていくことは難しい」となります。
 やたら「美貌」とか「不器量」とかが登場します。外見ではなくて、もっと内面の美について語られないものでしょうかねえ。昔、富士フイルムのコマーシャルの、「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに」というキャッチフレーズが大ブレイクしたことがあります。樹木希林さん扮する綾小路さゆりと岸本加世子さん扮する街の写真店の店番(のち店長)とのやり取りです。この言葉は樹木さんの発案で、当初は「美しくない方も美しく」でしたが、樹木さんが言葉に違和感を覚えて、「それなりに写ります」のほうが日本語としてきれい。「美しくないという表現も美しくない」と、彼女の発案でこうなったそうです。のちのリメイクでは、「そうでない人はチョーそれなりに写ります」と「チョー」が加えらました。樹木希林さんを「そうでない人」の役にするなんて、失礼だと思いましたが、この役は樹木希林さんでないとできないと思います。まさに「内面の美」がにじみ出ていて、えもいわれず微笑ましくもくつろげる雰囲気を醸し出していました。その樹木希林さんもすでに故人です。映画「大誘拐」ではコミカルな農家のおばさんを、「38 刑法第38条」では被告に寄り添う弁護士役を好演されていました。心からご冥福をお祈りいたします。

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