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スレッドNo.84

老子でジャーナル

老子第11章
 三十輻(ぷく)、一轂(こく)を共にす。その無なるに当たって車の用あり。埴(ねばつち)を埏(こ)ねて以って器を為(つく)る。その無に当たりて器の用あり。戸牖(こゆう)を鑿(うが)って以って室を為る。その無なるに当たって室の用あり。故に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。

 車輪は三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まってできている。その轂に車軸を通す穴が空いているからこそ車輪としての用をなす。粘土をこねて陶器を作る。陶器の中の空っぽの部分にものを入れる使い道がある。戸や窓をくりぬいてその奥に居室を作る。その何もない空間に部屋としての用途がある。だから、すべての形有るものが役に立つのは、形なきものがそれを支える役割を果たしているからだ。

※浩→ここでは「無の用」を論じています。形有る器物が器物としての役割を果たすためには、「形無きもの、もしくは形無きところ」がその根底になければならない。これを、車の甑(こしき)、陶器、家屋の居室などの譬喩で説明しています。「有」が「有」として存立しうるには「有」だけでは不十分で、「無」を媒介してはじめて「有」が「有」でありうという哲学的な真理を明らかにしています。
 すべて形有るものが役に立つのは、形無きものがそれを支える役割を果たしているからです。室町時代の能楽の巨匠・世阿弥は「有は見(現)、無は器なり。有を現すものは無なり」と言ったそうです。その世阿弥は能の稽古の心得として“するわざ”に対する“せぬひま”が面白いと言い、「舞を舞いやむひま、音曲を謡いやむところ、そのほか、言葉・物まね、あらゆる品々のひまひまに、心を捨てずして、用心を持つ内心なり。この内心の感、外に匂いて面白きなり」と『花鏡』に書いているそうです。絵画における空白、書道における行間の空白の重要性はよく知られています。そういえば、物理学でも、原子は中心の原子核が動くには空白の空間が必要です。「宇宙」は英語ではspaceでした。私はかつて新大阪のカプセルホテルに泊まったことがありますが、人がやっと一人横たわるだけのスペースで息が詰まりそうで、結局ほとんど一睡もできませんでした。「閉所恐怖症」でしょうが、これも「空間」(ゆとり)が必要だという好例かもしれません。面白い喩えが「荘子」にあります。「室に空虚なければ則ち婦姑(よめしゅうとめ)は勃谿(いかりののし)り、心に天遊なければ則ち六鑿(りくさく:耳・目・口・鼻・心・知)相い撰(みだ)す」(雑篇)。家の中に空いた場所がなく、狭いところで鼻つきあわせれば、嫁と姑は不和になり喧嘩口論をおっぱじめるでしょう。それと同じく、人間の心に余裕がなければ、体の中の6つの穴、すなわち耳・目・鼻・口・心・知の感覚知覚諸器官は、互いに乱し合い調和を失って、生命そのものを損なうことになる。私もかつてアパート住まいで実母と妻と同居して暮らした時期があります。まさに息が詰まるような日々が続いて、結局夫婦生活は破綻しました。物理的にもスペースは必要ですし、当然、心の余裕はさらに必要です。現在、わが家の近所に同じ形で色違いの建売住宅が2件並んで建っています。できてからすでに相当の月日が経過しますが、一向に売れる気配はありません。ちょうど羊羹を斜めに切って立てらせたような形で、1軒は黒色、もう1軒は白色です。窓の位置や間取りなどは少し違うようですが、両方とも庭はなくて、車を駐めるわずかなスペースがあるだけです。このどちらの家に住んでも息が詰まりそうだと、通りがてらにいつも感じています。少しでも緑の空間があると売れるのでしょうが。

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