アイビーの俳句鑑賞 その3
アイビーの俳句鑑賞 その3
55 初刷りが重い戦火はまだ止まず (ABCヒロさん)
時事問題を俳句に詠むのは難しい、というより殆んど失敗する。思い入れが強すぎて17音ではどうにも表現し尽くせないのだ。上掲の句は、ロシア・ウクライナの戦争が根底にあることは間違いないが、プーチンがけしからんとか国際社会の団結がどうとか言いだしたらそれこそ収拾がつかなくなる。作者は、ただ「重い戦火」とのみ言っただけで、ごく自制的な姿勢に終始している。この抑制の利いた表現が、この句をして俳句たらしめている所以に他ならない。流石ベテランというほかない。
9 初糶の金魚木舟を赤く染め (ナチーサンさん)
初糶は、大間の鮪や下関の河豚を詠んだ句は多いが、金魚の初糶とはうまい所に目をつけたものだ。この近くでは弥富金魚、大和郡山が有名だ。「木舟を赤く染め」と句またがりにして収束したところが巧い。息を呑む赤が絵画的で効果を上げている。
62 理髪店出る正月の頭かな (ナチーサンさん)
作者ご本人の自句自解にもあったようにご自分の体験を詠まれた訳で、あれこれ言えば蛇足になる。ただ一点、「理髪店出る」とあれば理髪店から出てきたのは第三者で、作者はそれを目撃したという解釈も出来なくはない。これに対し「理髪店出て」とすれば理髪店から出てきたのはナチーサンさんご自身ということになる。第三者の行為より作者本人にした方がはるかに面白い。
10 人形(ひとがた)や宮の焚火に舞い上がり (ちとせさん)
人形は形代とも言い「ひとがた」と読む。紙を人間のかたちに折り、夏の大祓などに人間の身代わりとして悪霊を引き受ける。そして大晦日から元旦にかけ神社で焚かれる年木に燃べられる。燃え盛る業火に人形はまるで本当に生きているように宙に舞う。あたかも身についた悪霊の断末魔であるかのように。このようにして、身も心も清浄にして新しい年を迎えるのだ。親もそのまた親も、日本人は代々そのようにして新年を迎えてきたのだ。そんな敬虔な気持ちを呼び起こす一句。
94 一人居やせめて嚔は景気よく (ヨシさん)
何やかやで家族全員が出払ってしまった。家にいるのは作者のヨシさんが一人だけ、というシチュエーション。話す相手も無くテレビもつまらん、だんだん退屈になる。と、突然大きな嚔が出た。一人だけだから誰に遠慮も要らない。かくして盛大に嚔を放つ仕儀となる。中七に「せめて」を発見したのが作者のお手柄で、得も言われぬ可笑しみが生まれる。そこはかとなく俳味が漂って来る一句。
30 裸木や雪を纏うて晴れがまし (神林亮さん)
一面の雪景色の神々しいまでの感動を句にして品よく纏めた一句。ただ細かいようだが、裸木も雪も冬の季語で、この句に関しては季重りを避けたい気がする。雪景色の中だから別に裸木である必要もないわけで、松とか杉の具体的な木にするか別の言葉にするかしたいところ。座五に何を持ってくるかがこの句のポイントだから、「晴れがまし」でも悪くはないが、いかにも常識的で大人しい印象だ。もっと良い楚辞がありはしないか、その可能性をギリギリまで推敲してみることも俳句上達の方法と思う。
78 返事する声の余所行き春着の子 (無点)
何時もは活発過ぎてよく叱られるのに春着を着た時ばかりは神妙だ。返事をする時の声も余所行きの声だ。微笑ましい情景を上手く詠んだが無点になってしまった。少しだけ語順を変えてみたい。
アイビー流に詠めば 余所行きの声でご返事春着の子
以下次号、不定期掲載
62 理髪店出る正月の頭かな
「理髪店出て」とのご指摘納得です。有難うございました。
55番の初刷りの講評をありがとうございます。元旦に配達される新聞は、チラシも加わって本当に重い。
なんとかその重さを、俳句に落とし込めないかと考えた次第です。お目に止めてくださり、うれしく思います。
年賀状は差し上げておりませんが、本年もよろしくお願いします。