アイビーの俳句鑑賞 その4
アイビーの俳句鑑賞 その4
2 悴める吾子の手を押し包みやる (手毬さん)
外で遊んできた子か、あるいはもう少し年長の子であれば部活からの帰りかも知れない。手が氷のように冷たく悴んでいる。その悴んだ手を自らの両手に押し包むようにして温めてやる作者。母親の細やかな愛情、このようにして親子のスキンシップが図られるのだ。母としての親心を句にした佳句。
67 大吉にかすかな不安初神籤 (手毬さん)
御神籤で今年の運勢を占うのは正月ならではの光景だろう。神社の営業方針だろうか、凶も少しはあるが大体は吉が出るようになっている。吉の中にも大吉、中吉、小吉、末吉とあり大吉が一番良いに決まっているが、そう簡単にいかないのが人間の心理だ。大吉は今現在が最高で、あとは衰えるばかりじゃないかと却って不安になる。むしろ小吉ぐらいから始まって、後で尻上がりに良くなっていく方がよいと考えるのだ。そんな人間の心理の微妙なアヤに着目した一句。
13 母の背を流す幸あり女正月 (かをりさん)
7点を集めた。何処か温泉にでも出かけたのだろうか、女正月だから男はオフリミットだ。男の私から見ると、よくあんなに喋るネタが尽きないもんだと感心するが、よく喋り、よく食べて、少しは酒も飲んで煩わしい家事からも解放され、文字通り女の天下だ。そのあと連れ立って温泉に浸かる。老母の背中を流し親孝行の真似事もでき最高の女正月になった。ところでこの句は作者の実体験に基づいた句なのかなあ。
93 日脚伸ぶまだ鍋の出る犯科帖 (かをりさん)
鬼平犯科帳の著者の池波正太郎先生は名うての食通だ。著作の中でもしばしば食べ物の登場する場面があり、読者を楽しませてくれる。この季節ならさしずめ軍鶏鍋あたりか、折から冬至を過ぎだいぶ日脚が長くなってきたが、それでもまだまだ寒い日が続く。「うーん、たまらねえ、一本つけてくんな」と、お頭の台詞が浮かんでくるようだ。
8 ひとかどの児等の物言ひ初笑 (てつをさん)
児等といってもまだ就学前の幼い子であろう。正月で遠方の子や孫がやって来た時の情景か。何かの折に幼児が、それこそ大人が言うようにいっぱしのタメ口をきいた。周りの大人たちは一瞬、呆気にとられやがて爆笑する。おかげで一気に場が和み和気藹藹の雰囲気になった。正月らしい和やかな句になった。
49 生くるとは人送ること枇杷の花 (てつをさん)
1月句会のトップ、9点を得た句。老境に差しかかったてつをさんの心境。人が老いると言うことは、とりもなおさず夥しい数の人が逝ったことに他ならない。自分の親であり縁者であり、兄弟であり師であり友人であるのだ。あらゆる感傷を排除すれば、人生とは畢竟、人を送ることに言い尽きる。これがてつをさんの到達した境地なのだ。季語の枇杷の花が実に的確だ。
58 来る度に身丈測りて年あらた (無点)
お孫さんだろうか、家に来るたびに身長を計るのだが、子どもの成長の早さには驚くばかりだ。惜しくも無点句になってしまったが、正直どこが悪かったのか分からない。強いて言えば季語の「年あらた」がいま一つピンと来なかったのかなあ。「お年玉」あたりを季語に持ってきたらどうだろうか。来る度に伸びる背丈やお年玉 とか。吾よりも背高き子にお年玉 と迫る手もありそう。
成人式父の服継ぐパーマの子 (無点)
俳句は17音しかない文芸だから、一句の中にあれもこれもと欲張って詰め込むと俳句がせせこましくなるので気をつけたい。この句なども言わんとすることはよく分かるだけに入点の無かったのがいかにも惜しい。父の着し羽織袴や新成人 パーマの子も捨てがたいが。
アイビーの俳句鑑賞 完
13 母の背を流す 温泉にでも出かけたのだろうか、これはそのとおり。さあ流したか、並列に並び、胸の石鹸を泡を流したまで。実はそれを読んだ句もあり、これはまたいつか。
93 日脚伸ぶ これは先月のアイビーさんの円生師匠の、江戸の粋の句へお返事です。
GWは脚を伸ばして、知多、渥美など半島巡りをしてみんと。そうすると中京の風土の句も取れるかなあ。
熱田神社は是非!