MENU
467,230

スレッドNo.1969

アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

七夕や願い事まだ多かりき (ちとせ)
この句は束束子さんの詳細な鑑賞があったので屋上屋を重ねることは避けたいが、七夕に願い事があるということは、なお向上心があることにほかならない。年齢に関係なく、一つことに打ちこむ姿は美しい。少しでも向上すべく研鑽を積むのはもっと美しい。

籐寝椅子兄の仕草に父をふと (森野)
私にも同じ経験があり、ちょっとした仕草が父に似てきたそうだ。人間、ある程度の年齢に達すると、風貌もちょっとした仕草も親に似てくるらしい。同様に森野さんのお兄さんも、亡きお父さんの仕草が何かの拍子に出てくるのだろう。風貌が似るのは遺伝と説明できるが、仕草や癖なども似てくるのはどういう訳か。やはり親子だから、としか言いようが無い。肉親ならではの観察眼に拍手。座五の「ふと」は字数を合わせるための便法だろうが、私は少し気になる。「父見たり」「父を見つ」でよいのではないか。
木戸銭は朝採り野菜夏芝居 (森野)
着想が面白い。しかし、雰囲気として夏芝居というより、稲の刈入れが終わった後の農村の村芝居を思わせる。夏芝居は一流どころではないにしても、一応プロの役者が演じているからギャラが現物支給というのは腑に落ちない。もっとも作者は木戸銭が野菜と言っているのであって、ギャラとは言ってないが。作者の見解を聞きたいものだ。

梅干しは妣つくりしに勝る無し (ヨシ)
亡きお母さんに対するヨシさんの追慕の情がよく表れている。市販のブランド梅干しではなく、梅干しを自分で作っていた母。手抜きをせず、決められたレシピを頑固に守り、長年作ってきた梅干し。一口食せばそのしよっぱさとともに、亡き母の事どもが思い出される。いろいろな梅干しを食してみたが、見栄えはよくないもののやはり母の梅干しが一番だ。

別人になりたき少女サングラス (玉虫)
サングラス越しでは目の表情が相手に分からないので、別の人格になったような気分になる。別人格になれば、普段二の足を踏むようなアバンチュールも出来る。そんな気分を句にしたのだが、この少女はどんな冒険がしてみたかったのだろうか。もっとも、この変身願望の少女が、作者自身の等身大の分身とすれば、句の味わいが格段に変わってくる。

靑時雨大草履吊る仁王門 (ナチーサン)
浅草の仁王門、吊り下がっている大草鞋とそつなく情景が描写されている。ただこれだけでは所謂「絵葉書」俳句になってしまうところ、上五に「青時雨」を置いたことにより二句一章の俳句になった。その意味で、季語の持つ玄妙な力を再認識させる句となった。

カーバイト夜店賑し浴衣の娘 (無点句)
惜しくも無点句となったが、情景としてはよく分かる句なので勿体ないと思う。夜店も浴衣も夏の季語で季重りになっている。同じ季重りでも詠む対象に主と従、どちらかに主眼を置けば別に問題は無いのだが。それと上五に「カーバイト」と置いたのがやや散漫な印象。この点を改めれば、素材としては面白い句だから入点が期待できるのだが。


以下次号、不定期掲載

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top