MENU
468,521

スレッドNo.2167

ちょっと昔の俳句から

下に紹介した俳句は昭和三十年代、四十年代以降、半田市を中心に地元俳壇をリードしてこられた諸先生の俳句です。
二象先生、百合子先生、のぶを先生の句は矢浦詠正氏提供、夕童子先生は句集より抜粋。
榊原二象  坐りゐるここまで初日届きけり
      おしぼりを踊櫓へ放り上ぐ
      夏茱萸へ話移ればそちらへ歩
      飛石となりてしまいし瀧のみち
      伝言にビールも頼み荘開ける
榊原百合子 風音が春をはばみて社裏
      毛皮着て心貧しき人なるよ
      言ふまじく蝶の野に来てまで些事は
      緑蔭に子をひっぱってきて叱る
      夏帯や宿の女将の少し斜視
高須のぶを 水門に寄す汐膨れ鯊を釣る
      汗をふく納得出来ぬ言訳に
      読めぬほど梅雨汚れして着く書簡
      纜に若布育ちてゐるも鳥羽
      鳥帰る高さに果せざる視力
      葱坊主ゆらして島はいつも風
      庭を持つゆとり草引くときは別
松浦夕童子 寒泳に鋼のごとく水しまる
      勝独楽が負けたる独楽に倒れ寄る
      遠足の病む子を背負い教師行く
      極めたる山頂の天なほ高し
      弔客を犒う夜の大焚火
      戦後の子識らぬ字多き書を曝す
      柿捥げば村一斉に古くさし
一読して感じることは表現が平明なことです。持って回ったような表現はなく、対象物に直截に迫る分かり易さがあると感じました。晦渋な表現は一切ありません。勿論、難しい漢字の読み方とか、古い言い回しはあるものの苦になるほどではありません。
一番感じたことは、使われている季語が、実際の生活に違和感なく馴染んでいたということです。私などが実作上、いつも感じていることですが、歳時記に載ってはいるしその意味も知ってるけれど、生活実感を伴わなくなった季語が実に多いということです。たとえば「ソーダ水」という夏の季語。実に使い勝手のよい季語で、私などもよくつくります。しかし、実際に喫茶店でソーダ水を注文するかといえば、まずしません。アイスコーヒーやなんとかパフェでは俳句の気分が出ないのです。
皆さんも感想をお寄せ下さい。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年08月25日 13:22)

アイビーさんへ
ちょっと昔の俳句から(NO2167)
アイビーさんからの提案、今読んでいます。ヨシさんからのコメントが入っているようですが一読重たい課題です。いろんな要素が含まれていて奥深いです。少し時間をください。私の年来の課題も含まれていますので。ゆっくり考えます。三択に遊ばれながら。
追伸・篤さんお元気そうです。近況解りましたのでmailのご確認を。

引用して返信編集・削除(未編集)

夕童子先生が①一物仕立ての句が圧倒的に多い ②「や」「かな」等の切れ字を殆んど使わない のはあくまでご本人の個性によるものと考えられます。昔の俳人が全てそうだとは思いません。ただ俳句に全く興味のない人が一番戸惑うのは取り合わせの句だと思います。
二物衝撃の句ですとビギナーには辛いかも知れません。菊の香や奈良には古き仏たち(芭蕉) 低度ならついていけますが、広島や卵食ふ時口ひらく(三鬼) となるとお手上げです。
昔は生活実感のある季語だったのに、生活様式の変化で使われなくなった言葉は、俳句の世界にはたくさん残っています。俳句として作品がある以上、歳時記から外せません。たとえば雪女、踏み絵などです。いきおいリアルな写生句ではなく、ファンタジーか比喩的につかうか、舞台を過去にして詠むことになります。イメージすら無くなった季語は淘汰されるでしょうね。

引用して返信編集・削除(未編集)

こんにちは。
残暑が厳しいですが、所々に秋を感じるようになってきました。
アイビーさんから、生活に溶け込んでいる季語、分かりやすい一物仕立ての句等についての書き込みがありました。
私は連句から、川柳~俳句と入ってきたので一物仕立てや取り合わせの意味も分からないままでした。
連句は発句を除いて平句は一句一章なので。それでかな~?連句には、いろいろな式目がありますが、句自体は分かりやすいです。季語も現在の生活では使われないようなものも想像の世界なので付句として有り得たら使えます。珍しい季語、例えば「われから」なども前句に付いていたら面白いと採ってもらえます。
でも、俳句となると写実になるので実際に見たことの無いものは詠めません。だから、吟行に行くのですよね。見たことの無いものでもGoogleやYouTubeで調べると見ることが出来ますが、やっぱり弱いですよね。いま読んでいる井上弘美先生の『読む力』という本の冒頭に歳時記を繰り返し読んで途切れることのない四季の絵巻物にしたいものだとあります。素敵だなと思いました。日本語は美しいと思います。古い言葉もありますが、美しい季語を使って十七音で自然や生活を表現できるようになりたいと思います。

引用して返信編集・削除(未編集)

松浦夕童子(まつうらせきどうじ)先生は広島県の出身で、中島飛行機半田製作所には戦時徴用で来られました。戦後も郷里には帰らず半田市に居を構え、日本画で生計を立ててこられました。ご遺族の方の発刊した句集が図書館にもあります。約千句程の俳句が収録されていますが、特徴的なのは収録作品の99%が一物仕立てということです。厳密には3句のみが二物取り合わせの句でした。このせいもあってか、とにかく分かり易い俳句なのです。もう一つ特徴的なのは、いわゆる切れ字を使った句が極端に少ないことです。上五で「や」を使った句が初期に2句あるだけで、「かな」「けり」は皆無です。座五の切れは動詞の終止形で切るか、さもなければ体言止めにするしかありません。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top